2018年 年頭の辞「神のみことばに専念」 使徒の働き6:1~7
週報No.2109 新年礼拝
2018年1月3日 (水) 午前10時半
年頭の辞「神のみことばに専念」眞部 明 牧師
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使徒の働き 6:1-7
6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
6:5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
「こうして神のことばは、ますます広まって行き、」みことばに専念した教会の働きは、みことばが広がって行く速さが、非常に速い。
これには、キリスト教の教えを伝えるだけでなく、みことばが自分の内に人格化している必要があります。
「エレサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。」エレサレムは恐れていた迫害の中心地です。恐怖の場所が、みことばと聖霊に従った時、そこが多くの人の救いの場所と変わったのです。
更に、「多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。」祭司たちは、エレサレムの神殿礼拝の儀式を司る者で、一番、回心の難しい人々です。
イエス様の、良いサマリヤ人のたとえの話の中でも、祭司は同胞の傷つけられたユダヤ人を介抱しようともせず、見捨てて行った人で、彼らの信仰は神殿の儀式を守るだけのむなしい、形式化したものに過ぎなかったのです。神の愛とあわれみを実行する信仰を持っていなかったのです。
儀式でこり固まった職業的宗教家ほど、イエス様に回心するのが難しい人はいません。
その困難な、心が頑なになっていた多くの祭司たちが、信仰を持っていったのは、神の奇蹟です。
みことばと聖霊に専念することは、どんな頑なな心をも打ち砕いて、信仰に導くのです。
これが、エルサレム教会が経験した、最初の証しの大成果でした。
私たちはこれに倣って、この年、これまでもそうでしたが、みことばに専念して励み、聖霊に満たされ、主に信頼して、主の栄光を現わしたい。
一夕ラントの信仰を埋めておかず、隣人を愛することに活用しましょう。
大事な点は、みことばを覚えることも大事ですが、暗誦の訓練で覚えることより、毎日活用することによづて、身につけることが不可欠です。
この教会に来られる方を見ていると、みことばに非常に弱いことが目立ちます。だれだれ先生から洗礼を受けましたとか、自慢話のような話はされますが、自分の救いの約束のみことばさえ、正確でない人がいます。
きよめの恵みがあることすら、聖書から見い出していない人がいます。聖書を、聖霊にお頼りしながら、探求している人なら、だれでも容易に、きよめの恵みを見い出すことができます。
<今週の活用聖句>
マタイの福音書6章16節
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があな
たがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあが
めるようにしなさい。」
(たけさんの一口まとめ)
ペンテコステの日に聖霊降臨がありましたが、それを受けた弟子たちはエルサレム教会を立ち上げました。そこでは、弟子たちがどんどん増えていき模範的な教会と思われましたが、この教会にも問題が発生しました。やもめたちの食事の配給の問題で不満が出たのです。
普通ならどうしたらよいか改善案を考えて解決しようとしますが、ペテロたちは違いました。「神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」と言いました。パンの配給などの教会の奉仕作業が忙しすぎて神のことばが後回しになっていたことに気が付いたのです。
それでもエルサレム教会はパンの配給はやめませんでした。愛の行いをおろそかにするのではなく、みことばを実践して愛を行うことができる7人の聖霊に満たされた奉仕者を選びました。御霊に満たされた人々は、批判する側に立たず、助ける側に立ち、更には、大胆な証しをする人となりました。ステパノは説教者になって最初の殉教者になり、ピリポはエチオピアの高官に聖書を教えて洗礼を授けました。
聖霊とみことばに立っている人は、イエス様の栄光を表す人になります。みことばに専念して実行する奉仕は奇跡を起こします。エルサレムは迫害の中心地でありましたが、多くの人の救いの場所となり、弟子の数が増え、ついには、神殿礼拝をする祭司たちまでが信仰に入ったとあります。
私たちは、今年も、みことばに専念し、聖霊に満たされ、主に信頼してイエス様の栄光を表せていただきたいと思います。
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ 5:16)
毎日、みことばを足の灯とし、心の中にいのちの火が輝いているような生活をして、それを見てその理由を尋ねる人が現れるような、主の愛の光を輝かせるようにさせていただきたいと思います。
【引照聖句】
(マタイ4:3-4) すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
(Ⅱテモテ 4:2) みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
(Ⅱテモ 3:16-17) 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
(マタイ 7:24) だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
(ヘブル 4:12) 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
(ヤコブ 1:21-22) ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
(ヨハネ 3:16) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(マタイ 5:8) 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
(ヘブル 4:11)ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
(マタイ 5:16) このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。