週報No.2153 涙の預言エレミヤ書(63)「偽預言者の妨害」エレミヤ書29:24~32

2018年11月4日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書29章24~32節
29:24 あなたはネヘラム人シェマヤに次のように言わなければならない。
29:25 「イスラエルの神、万軍の【主】は、次のように仰せられる。あなたは、あなたの名によって、エルサレムにいるすべての民と、マアセヤの子、祭司ゼパニヤ、および、すべての祭司に次のような手紙を送った。
29:26 『【主】は、祭司エホヤダの代わりに、あなたを祭司とされましたが、それは、あなたを【主】の宮の監督者に任じて、すべて狂って預言をする者に備え、そういう者に足かせや、首かせをはめるためでした。
29:27 それなのに、なぜ、今あなたは、あなたがたに預言しているアナトテ人エレミヤを責めないのですか。
29:28 それで、彼はバビロンの私たちのところに使いをよこして、それは長く続く。家を建てて住みつき、畑を作ってその実を食べなさいと、言わせたのです。』」
29:29 ──祭司ゼパニヤがこの手紙を預言者エレミヤに読んで聞かせたとき、
29:30 エレミヤに次のような【主】のことばがあった。──
29:31 「すべての捕囚の民に言い送れ。【主】はネヘラム人シェマヤにこう仰せられる。わたしはシェマヤを遣わさなかったのに、シェマヤがあなたがたに預言し、あなたがたを偽りに拠り頼ませた。
29:32 それゆえ、【主】はこう仰せられる。『見よ。わたしはネヘラム人シェマヤと、その子孫とを罰する。彼に属する者で、だれもこの民の中に住んで、わたしがわたしの民に行おうとしている良いことを見る者はいない。──【主】の御告げ──彼が【主】に対する反逆をそそのかしたからである。』」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 一方、エレミヤは、孤独の中で、民の罪による滅亡を思って、耐えられなくなっていたのです。

 主イエスは、ラザロの死をもたらした罪を嘆かれて、涙を流されたのです。イエス・キリストは、私の罪のために、嘆きを持って、孤独の中で、十字架にかかって下さったのです。

 エレミヤはユダの民を愛したからこそ、孤独の中で、非常な苦しみを覚えたのです。この点で、エレミヤはイエス・キリストのみわざを表わす人物です。

 私が、他の人のために悲しむ深さは、私の信仰の深さ、主イエスの愛の深さを表わしています。ある説教者は、主イエスの十字架を話す度に、涙を流していたそうです。彼は、イエス・キリストの十字架に主の深い愛を感じていたからです。それが、その人の心のエネルギーとなり、炎となり、心の輝きとなり、勇気となったのです。

 罪ある人を非難する人は多いけれど、主を拒む人のために涙を流す人は、少ないのです。

 キリストを愛する人は、キリストのために苦しみを分かち合うことを、喜びと思うようになります。あなたが苦しまなければならないことを避けるようになると、主を愛することから遠ざかっているかもしれません。あなたはある種の苦難を免れるかもしれませんが、主と共にくびきを負う権利を失います。

 自分中心で、大勢の人がいる、楽しい、にぎやかな、広い道を選んでおり、間違いなく、たましいの滅びを招き入れることになります。あなたは死の陰の谷を通らなくてもすむでしょう。涙の谷を通らなくてもすむでしょう。しかし変貌の高い山も失うことになります。

 もし、エレミヤが神の召命を拒み、アナトテ村で安楽に暮らす方を選んでいたら、主は決して、ご自分のビジョンをエレミヤに示さなかったでしょう。彼は、神と神のみことばに仕えるという、最善の、最高の栄誉を受けることはなかったでしょう。

 すべて神の預言者の働きは、誤った安心と確信をくつがえし、偽りの避難所を打ち壊して、すべての人の心と生活が、イエス・キリストの十字架に向かうように、示し導くことです。

 心の傷を手軽にいやすことは、大変な間違いで、危険です。キリストの福音の慰めは、私が神の前で、地獄で滅びる状態であることを自覚し、イエス・キリストがその地獄の穴の底から私を救い上げて下さったことを信じる時、どっと私の心に流れ込むのです。

 神のリバイバルは、既に教会員となっている人々の内に、鋭く不敬虔な罪が示され、高慢、不従順、愛がないこと、不信仰が示され、聖霊が働かれることによって始まります。真剣な悔い改めた生活を始めることによって、聖霊による覚醒が始まります。

 人が、「主を信じない」とか、「信じることができない」と言う時、心に何らかのまだ解決していない罪悪を隠し持っているか、自分の力で解決しようとしているからです。これらは正しく解決されなければなりません。

 神に受け入れられているという意識が欠けているのは、聖霊を悲しませている何かが原因しているからです。

「神の聖霊を悲しませてはいけません。…」(エペソ4:30)「御霊を消してはなりません。」(テサロニケ第一、5:19)

 このような時、霊的に鈍くて、何が聖霊を悲しませる原因となっているか、思い当たらないことがあります。その時は、より強い、より鋭い光に照らされる必要があります。ただ自分の考えで、自分に厳しくしても、よくありません。聖霊に明け渡して、分からせていただくことが必要です。

 「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。」(イザヤ51:1、ヨハネの黙示録22:17、へプル5:14) 聖霊は、私がただの土くれ、土の器でしかないことを示されるのです。

 「しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」(イザヤ64:8、第ニコリント4:7)

 ですから、聖霊が私を打ち砕いて、へりくだらされるのを、感謝して受け入れようではありませんか。

<今週の活用聖句>

コリント第二、4章7節
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」

<集会案内>

 ◇11月7日(水)聖別会 午前10時半
    聖潔とは何か(26)
     「聖潔の道を歩む(14)」

地の塩港南キリスト教会
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