書籍紹介 「教会学校生徒のしつもん はてな?」

 

まなべあきら著 B6 86頁

子どもたちが疑問に思う31のテーマを取り上げて、わかりやすく、しかも聖書から少し専門的に、語りかけるように書いてあります。小学上級生や中学クラスでは、テキストにも使えます。ご両親や教師には、よい助けになると思います。

目次

1、どうして世界には、たくさんの宗教があるんですか?
2、神さまは本当にいるんですか? いるんだったら、どこにいるんですか?
3、神様はだれが造ったんですか?
4、どうしたら、神さまがわかるんですか?
5、神様の声は、聞こえるんですか?
6、神様は、どうして男と女を造ったんですか?
7、神様は、父と子と聖霊と三人なんですか?
8、神様は、どんなお方ですか?
9、イエス様は、神様から生まれたんですか?
10、イエス様は神様なのに、どうしてお祈りしたんですか?
11、イエス様は、どうして十字架にかかったんですか?
12、イエス様は、どうして復活できたんですか?
13、イエス様は、今何をしているんですか?
14、イエス様がもう一産地上においで下さるっていうのは、本当ですか?
15、聖霊って、どんなお方ですか?
16、福音って、どういう意味ですか?
17、人間は、どうして悪いことをするようになったんですか?
18、人間は、みんな罪人なんですか?
19、救われるためには、どうしたらいいんですか?
20、イエス様を信じたら、そのあと、どうしたらいいんですか?
21、天国は、ほんとうにあるんですか?
22、神様が愛なら、どうしてみんなを天国にいれてあげないんですか?
23、人間は、死んだら、どうなるんですか?
24、ネコや犬や小鳥も、天国に行けるんですか?
26、お祈りの終わりに、必ず「アーメン」と言うけど、どういう意味ですか?
26、お祈りは、ホントに聞かれるんですか?
27、聖書は、だれが書いたんですか?
28、創世記には地球は六日間で出来たって書いてあるのは、ホントですか?
29、天は一つしかないのに、聖書には「もろもろの天」と書いてあるのはどうしてですか。
30、神様は、悪魔もお造りになったんですか?
31、悪魔は、どのようにして誘惑するんですか?

ご両親様へ

子供達も段々大きくなってきますと、心の中に沢山の質問が、わきあがってきます。
特に、聖書を読んだり、毎週教会学校でお話を聞いている子供は、
「神様は、父と子と聖霊の三人なの?」とストレートな質問を、親に投げかけてきます。
こういう時、「お母さんも分からないわ。」では、子供に不信感を抱かせてしまいます。
「お母さんは、分からないのに信じているのか。」と思わせてしまいます。

そういう時、子供達は、理論的に詳しい説明を求めているのではなく、(大抵、親は理論がうまく説明できなくて、あわててしまいますが)自分の心の中にわきあがった未知の問題に対する不安を、親の確信ある返事で消し去りたいだけなのです。
だから、「神様は、ただお一人だけど、別々のお仕事が出来るの。」と、簡単であっても親の信じている所を確信をもって答えてあげる必要があります。
とにかく、子供達が納得する返事を、与えねばなりません。
決して、あやふやな返事をしてはいけません。子供達の質問の中には、やがて大きくなったら、分かるものもありますし、大人になっても信仰によってしか、知りえないものもあるのです。

神様は無限のお方ですから全てのことを知り尽すことは不可能です。
このことを子供達に教えましょう。
何でも理論的に説明しなければいけない、と思ってはいけません。
信仰的に確信のある返事をすることが大切なのです。
特に、聖書の言葉を示してあげるならば、子供達は、十分に納得し、安心します。
この本では、比較的、説明しにくいものだけを、取り上げました。
また、出来るだけ分かりやすい言葉を使うようにつとめましたので、ある程度理解力のある子供には、直接この本を読んでもらうと、よいと思います。
教会学校の上級・中学クラスでは、この本をテキストにして、研究もできます。
ぜひ御利用下さい。

一九八〇年七月一五日
著者  真部 明

以下、一部抜粋

ニ七、聖書は、だれが書いたんですか?

きっと君は、教会学校で「聖書は神様のことばだ」と聞いたね。それで不思議に思ったんじゃないかな。
まず、人間にはどうして聖書が必要なんだろう。このことから考えてみよう。
君は、神様を二つの目で見ることができるかな? 二つの耳で神様の言葉を聞くことができるかな? できないね。それでは、どうしたら 「神様が何を考えておられるか。」「神様が私たちのために、どんなことをして下さっているのか。」わかるだろうか? 聖書を読むことによってだね。聖書はそのために書かれたんだね。だから神様の考えや、しておられることを私たちに知らせて下さるための、神様の手紙だと言ってもいいわけだ。
聖書の中には、どんなことが書いてあるかは、君が教会学校でお話を聞いているとおりだ。しかし、聖書の中心の教えは、「イエス様を信じることによって、君も私も救われる」ということだね。
それではいったい、この聖書はだれが書いたんだろう。
聖書は全部で六十六さつの本から出来ていることは、君も知っているね。これを四十人ぐらいの人で書いたんだよ。
最初の創世記から申命記までは、モーセが書いたんだね。一番終りのヨハネの黙示録はヨハネが書いたんだよ。モーセはヨハネより一五〇〇年ぐらい前の人なんだね。そうすると聖書は、一五〇〇年もかかって書かれたことになるね。
この四十人の中には、モーセのような羊飼いや、ペテロやヨハネのような漁師もいれば、ダビデのような王様、アモスのような農夫やルカのような医者もいて、ただ学者が書いたっていうんじゃないんだよ。
ところが聖書には、不思議なことが一つあるんだよ。こういうように、違った時代に、いろいろな人が、別々の場所で、書いた聖書なのに、書いた内容は、みな同じことについてなんだね。これは不思議じゃないかな。君が日記をつける時だって、こうも同じことばかりについて書くだろうか。
それは聖霊が、聖書を書く人々を教えたり、助けたり、導いたりされたからなんだね。聖書を書いた四十人ぐらいの人々は、自分で勝手に書いたのではなく、聖霊によって守られながら書いたからまちがうこともなく書くことが出来たわけだ。
だから 「聖書はだれが書いたのか?」と言うと、「聖霊が書かれた」と言うことが出来るね。また、「聖書は神様の言葉」だということも出来るね。
私も聖書を毎日毎日、読んでいる。君もがんばろうじゃないか。聖書を読むと幸福になれるよ。
まず、信じる気持ちで読もう。わからない所があったらとばして読もう。教会の先生にたずねてもいい。
第二に、自分に何か教えてくれるものはないか、さがしながら読もう。教えてくれる言葉や、励ましてくれる言葉などがあったら赤鉛筆で線を引いておこう。
第三に、教会学校で聞いたお話の場所を、家に帰って読んでみよう。
最後に、教えられたことを、実行しよう。そうすれば、聖書の約束が「本当にすばらしいなあ」と、わかるよ。教えられたことを実行しないから、聖書をつまらなく思ってしまうんだ。一つでもやってみよう。そうすれば神様の言葉の力がわかってくるはずだ。さあ、いっしょにやってみよう。
(テモテへの手紙第二3章15~16節、ペテロの手紙第二1章21節)

以上、一部抜粋