音声と文書:ヨハネの黙示録(46) バビロンの仲間たちの嘆き 18:9~20

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PDF文書:ヨハネの黙示録(46)

ヨハネの黙示録 18:9~20
18:9 彼女と不品行を行い、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。
18:10 彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』
18:11 また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。
18:12 商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、
18:13 また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。
18:14 また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。
18:15 これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、
18:16 言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。
18:17 あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、
18:18 彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』
18:19 それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』
18:20 おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」【新改訳改訂第3版】


上の絵は、オランダの出版家/版画家Philip Galle (1537–1612)、および、オランダの宗教画家Maarten van Heemskerck (1498–1574)により1569年に描かれた「The Fall of Babylon(バビロンの滅亡)」(ニューヨークのMetropolitan Museum蔵、Wikimedia commons より)


はじめに

1.前回は大バビロンの滅亡の宣言と、「神の民はこの女から離れなさい」という警告でありました。

そして、その大バビロンは、ヨハネの時代には巨大帝国のローマを指しており、さらにそれは悪の世界を意味している。世界大のサタンの勢力を意味していることは、このまえもお話した通りであります。ヨハネは、これから隆盛を増していくローマ、どんどん力を増していく、そういう時にローマの滅亡を預言した。

2.今お読みした箇所は、滅びゆくローマの滅亡に対する滅亡の嘆きの歌が三つ記されています。

この三つの嘆きの歌は、かつてのローマの同盟者たち、それからローマから甘い汁を吸っていた者たちが嘆いたわけですね。

Ⅰ.その一つ一つの嘆きに入ります前に、一つの疑問にぶつかる人があるかもしれない。

それは17章16節では、10本の角と獣が大淫婦ローマを荒廃させて裸にし、その肉を喰らい、彼女を火で焼き尽くすようになる、と書いてある。
つまり同盟者たちがローマを憎み、荒廃させて火で焼いてしまうと、17章16節で言っているわけです。それなのにローマが滅び始めますとなぜ嘆くのか、ということです。こういうところに疑問が起きる。自分で滅ぼしておいて滅び始めると嘆く、というのがあるわけです。どうしてなのか。

これには二つの理由が考えられるわけです。

①、その一つは、悪い態度を持つ人はいつも一定の態度をとっていない。つまり心がいつも揺れ動いているということなんです。
もっと分かり易くお話をしてみますと、同盟者たちは、この10本の角と獣たちですね、ローマを滅ぼすことに加担していますけれども、滅んでしまうと昔の仲間だったことが懐かしくなる。こんなことが起きるわけですね。

ある夫婦はですね、互いに憎しみ合って離婚をします。ところが離婚しますと、前の夫や前の妻が懐かしくなる。
こんなことが起きるのと同じようなもので、人の心は絶えず一定していないということですね。ですから同盟者たちが滅んでいくローマを見ると、煙を見て嘆いたといっても不思議ではない。

人間というのはどうもそういうようなものですね。一緒にいるとうるさくてしょうがないのに、別れてみると寂しくてしょうがない。
朝からいると、うるさくてしょうがないのに、どこかに行ってしまうと、どうしているかしらと、はらはらする。
こういうものが悪い人の心の姿だと、こういうわけですね。ま、子供が心配になるのは別に悪い人ではありませんけどね。人間の心は一定していない、ということですね。
これが第一番目の理由ではないかなあ、と思うわけです。

②、もう一つの理由は、聖書の中にも書かれていますが、彼ら自身の利益のためです。
彼らはローマの贅沢な生活から甘い汁をずいぶん吸っていたわけですね。ところがその大木であるローマが倒れることよって、もはやその甘い汁を吸うことができなくなってしまう。それへの嘆きです。
ですから、非常に自己中心的な嘆きです。ローマに貢いでも儲からない。利益が上がらない。それで嘆いている。

今、日本もアメリカにずいぶん投資していますが、やがてそれらが倒産して国が左前になってくると、きっと日本は嘆くと思うんですけれどもね。

そこで、彼らの嘆き、3つの嘆きを考えたみたいと思うわけですが、

Ⅱ.まず、9節~10節は、地上の王たちの嘆きですね。

1.9節を見ますと、ローマと同じように不品行を行い、好色にふけっていた。

ここを読みますとね、最近の日本の政治家が次々と女性問題なんていって、週刊誌に取り上げられ、取り沙汰されていますが、お金と権力が集まるとそこには不品行と贅沢が付きまとう、ということです。
小さな権力者というのは、巨大な権力の中では同じ穴のムジナになってしまう。国会議員にならなければ、あういう生活をしなかった人が、なったために同じ穴のムジナになっていく、ということが起きるわけですね。

ですから、彼らもまたそうしなければ、ローマの同盟国、仲間にしてもらえない。
子供の世界でもありますね。万引きしないと仲間にしてもらえないので万引きするとか、オートバイをぶっ飛ばして暴走族にならないと仲間にしてもらえないとか、子どもも大人も似たようなことですね。

地上の王たちは、自分たちも不道徳と贅沢との極みを尽くした生活をしておきながら、彼らの支配者であったローマが倒れて火で焼かれると、ローマのために泣き悲しんだ。
ローマが倒れて、強い者が倒れてしまいますとね、彼ら自身が弱くなってローマの豊かさを得ることが出来ない。また乏しい権力者に戻っていかなきゃならない。小さな部族の長になっていく。

日本のことわざにも「寄らば大樹の陰」っていうのがありますけれどもね。陰にしていた大きな木が切り倒されると、下にいた虫なんかどこかへ行ってしまいますね。
しかし、地上の王たちは、やがて自分たちもローマと同じ運命にあるということを忘れてしまっている。人のために嘆き悲しむだけではなくて、自らが同じ運命にあるのではないかということを深く考えてみる必要があるわけです。

よく葬式とか告別式に出席しますと、出席者は故人を悼んでいますね。ところが自分が同じ運命にあることを痛感していません。自分とは関係ない顔をしている。やがて自分も棺にはいるということをね、全然考えていない。
ここに人の愚かさがあると思うんです。
誰かが、「あなた、この次ですよ」って言ってあげたらね、ずいぶん変わってくると思うんですけれども。
人は自分自身の滅びの運命に直面するまで、目の前にそれが来るまで、自分の滅びについては考えようとしないんです。
誰でも早く自分の滅びの運命に気づくならば、滅びから免れることができるわけですね。病気でもなんでも早く気付く、早期発見、早期治療があるくらいですからね、自分がどういう運命にあるか早く知って、それから免れることが大事なことです。

事故を起こす時でもそうですね。列車事故でも、間際になって気づいてブレーキをかけても間に合わないとかね。
何年か前に、釣り船と潜水艦が衝突して、間際になって気付いたりね。
自動車の事故も急ブレーキをかけても、間に合わない。もう少し早く運命に気づくならば、滅びから免れるわけです。

これは交通事故だけではなくて、私達の人生においてもいえる。永遠の課題であります。人の愚かさって目の前に飛び込んでこないと、気を付けないんですね。
もし、私に「この次あなたです、この次あなたです。」っていう権威が与えられたらね、みんなに警告を発することが出来る。
そんなことを言わなくても、自分の番が来るって分かっているわけですからね。
気づいてもよさそうなものです。

2.10節を見ますと、地の王たちは、ローマの滅びの時に何をしたかと言うと、三つのことをしているわけです。

三つのことをしましたけれども、その中にはローマを助けようとする行為が一つもない。人間というのはジタバタするときに人を助けられないようですね。もちろん助けようと思っても助けられなかったでしょう。自らも同じ運命にあったわけですから。

①、まず、第一にしたことは「彼女の苦しみを恐れた」と書いてあります。
ローマの上に下った神の審判の故に、非常に大きな恐怖に襲われた。彼らはこの時、滅亡が何を意味しているか、やっと悟ったわけです。滅びるってどういうことか知った。
しかし、ただ彼らがしたことは、恐ろしくて震えあがっていることだけだった。
残念なことですね。

②、もう一つは「遠く離れて立っていた。」
遠く離れて立っている、というのはどういうことなんでしょうかね。
近くに行くと自分も巻き添えになるということですね。自分を安全な場所に置くことだけだった、ということです。
ローマを助けることもしないで、自分を安全な場所において感傷的に眺めている。
滅んでいるローマを見て、涙も流さず、詩の一つも作る。
ネロはそんなことをしたようですね。自分でローマに火をつけておいてね、燃えているローマを見て、下手な詩を作ったらしい。これがね、悪い仲間たちの姿です。可愛そうに、とは言うけれどもね、自らは安全な場所に身を置く。
本当に命を賭して救いに導いてくださるのは、イエス様以外にいない。
人は当てにならない。

③、第三番目にしたことは何かというと、「わざわいが来た。わざわいが来た。」と騒いでいるだけ。
人間って、いざとなると騒いでいるだけですね。火事になっても「火事だ、火事だ。」と騒いでいる。腰が抜けてすわっているだけだとかね。

私の子供のころにね、ちょっと離れた近所で、その家のご主人は大工さんで、ご自分で家を建てた。大工さんですからね、新築の大きな家を建てたんです。建てて一週間くらいにですね、火で燃えちゃった。
子供のころ、夜でしたけどね、起こされて。何もできませんでしたね。でも1か月くらいしてまた新しいのを建てましたね。大工さんですからなんてことはない。すぐに建ててしまう。

「わざわいが来た。わざわいが来た。」と言って騒いでいるだけで、どこにも、罪を悔い改めるとか、神に立ち返るとかは少しも見られない。
これがローマの同盟者たちの嘆き。

よく比較されることは、イスカリオテのユダとペテロの違いはどこか。
イスカリオテのユダだってイエス様を裏切った後、後悔して嘆いたわけです。
「あー、とんでもないことをした。」と彼は嘆いて首を吊って死んだわけです。
ペテロも罪を犯しました。彼も涙を流して泣いた。彼は罪を悔い改めた。どこに違いがあるか。
私たちは気を付けないといけない。涙を流して嘆いている人を見ると、ああ、この人は罪が分かったんだなあと思いやすいんですけれども、そうじゃない場合がある。
サウル王とダビデの違い。サウルも神に罪を犯し、ダビデも神に罪を犯した。サウルも嘆いた。ダビデも嘆いた。彼らの差はどこにあるかというと、ダビデは罪を悔い改め、サウロは悔い改めなかった。神に立ち返らなかった、という差である。

ですから、同盟者たちがローマが滅びるのを見て、罪を悔い改めればよかったんですがね、少しも悔い改めようとしない。
人間っていうのは災害にあっても、罪を悔い改めようとしない。
よくそんな話を聞きますね。酒をたくさん飲んで、心臓とか肝臓とかが悪くなって手術を受ける。退院してくると、また同じように飲む。
これは罪を悔い改めていないわけですから、もっと悪くなるわけですよね。
気の毒ですけれども。
嘆きは、罪の悔い改めというのが含まれていなければ、本当の回復にはならないということです。

彼らの嘆きは一瞬にして大ローマが滅びていく、ということでした。一瞬のうちの荒廃というのが何度も出てきますね。
10節の終わりにも、「一瞬のうちに来た」
17節の終わりにも、「一瞬のうちに荒れすたれてしまった」
19節の終わりにも、「一瞬のうちに荒れすたれるとは」と、
三度繰り返されている。

人間というのは、作る時は骨が折れますけれども、「壊す」っていうのは簡単ですね。
家を建てるのでもそうですけれども、大工さんが大変ですね。
このあいだも東京のマンションが火で燃えたそうですけれども、大変ですねえ。建てるのにどのくらいかかったんでしょうかね。一年も二年もかかっていると思うんですけれども。高い所にいる人をヘリコプターで助けたらしいですけれどもね。

ローマ帝国は、一世紀の末から二世紀の初頭にかけてトラヤヌスという皇帝が出てきました。このトラヤヌス皇帝というのが大ローマ帝国主義というのを打ち立てたんですね。それまでは、ローマ帝国は世界大の帝国にしようというのではなかったんですが、トラヤヌスという人が大ローマ帝国主義というのを考え出したんですね。それで絶頂を迎えるわけです。
ところが四世紀の終わりごろ、395年にはローマ帝国は東西に分裂する。さらに476年には西ローマ帝国が滅んでいるんですね。
帝国と言っても、あっという間に滅んでしまう。
荒れすさむというのは本当に簡単なことですね。繁栄したところが荒れすさんでしまう。私たちも気を付けたいと思いますね。

アメリカの自動車産業をニュースでご覧になったかもしれませんが、かつてはフォードとかの車がどんどん売れたんでしょうが、今は日本の車がどんどん入ってきて、空き 家の工場ばかりですね。錆付いているんです。誰もそこに行かない。荒れ果てているんですね。あういうのを見ますとね、アメリカの繁栄も一瞬のうちに荒れすたれたんだなあと思います。

日本だってやがて荒れすたれていく可能性がある。
皆さんご存知でしょう。高島炭鉱なんて荒れすたれているではありませんか。北海道の炭鉱も荒れすたれている。以前は大繁栄していたところでしょう。一瞬のうち、100年もたたないうちに荒廃してしまう。
話に聞くと、最近は製鉄工場で野菜を作っているそうですけどね。何をしているんだかなあ、と思うんですよね。
かと思うと、電機メーカーが建築屋さんをやっていたり、いろんなことをしているんですねえ。製鉄工場の何とか野菜なんて出てくるんじゃないでしょうか。
一瞬のうちに荒廃してしまう。ローマがその良い一つの例ですね。

このあいだも、ある方にお会いしましたらね、「私の代でこの家は終わりです。」というんですね。長い間地方の庄屋を務めた。古い話ですけれども。その地方の親方さんだったんでしょうね。かつては土塀か何かでしっかりと囲んでいたんでしょうけれどね、見る影もなくね、落ちぶれている。かつては華やかだったんでしょうけれどね、今は荒れすたれている。
こういう姿を私たちは、どこにもここにも見ることが出来る。
どうか、かりそめの繁栄に心を移されてはならないですね。

Ⅲ.さて次に移りますと、11節~17節の前半は地上の商人たちの嘆きです。

彼らの嘆きの理由は明らかですね。11節に書いてありますが、
「もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。」

当時の商人というと、大体、地中海沿岸の商人たちですね。特にユダヤ系の人たちは商売がうまい。イエス様の福音を伝えたのも当時のクリスチャンの商人たちが伝えたんですね。巡回伝道者がいるというよりも、商人たちが福音を伝えるということが非常に多かったわけです。
ところがローマがどんどん繁栄してきますと、地中海沿岸の商人たちはみんなローマを経済市場にしたわけです。
今もこの経済市場というのは問題があるでしょ。日本から何円買ったから、うちの国からもいくらか買ってくれ、同じだけ買い込んで同じだけ売る。
後で、出てきますが、それらを運ぶ人もいるわけですからね。一番嘆いているのは運んでいる人ですからね。
2千年前も今も、ちいっとも変わっていないんです。ローマに持っていけばなんでも飛ぶように売れた。
日本に象牙を持ってくると、ハンコにするだとかで、売れるんだそうですね。

12節~13節を見ますと、彼らが取り扱った商品の品目が書いてあります。ちょっと数えてみると29品目記されている。
貴金属、宝石。
貴金属、宝石っていうものこそ、値段がいい加減なものはないですね。掘り出してきた時はただですよ。メノウだとかなんとか、神様がお創りになったものです。それに穴をあけたり鎖を通したりして高くして売る。あれだってホント、いい加減ですね。
高価な衣服。
麻布なんかたいして高価なものではないでしょうが、紫布とか、絹とかね、これは非常に高価ですね。
それから建築資材。香料。武器。奴隷。人の命まで商品にしていたわけです。
なんとも恐ろしい時代ですね。
でも考えてみれば、今も、人を使っているわけですから、昔も今も変わっていないなあと思うんです。

ローマは倒れてしまって、もはや、二度とこれらを必要としない廃墟となってしまった。落ちぶれてしまった。
倒れてしまうと、美味しい果物も無意味ですね。贅沢なごちそうもいらなくなる。華やかな衣服ももはや必要でない。
丁度、これらは、死人にはこういうものは必要ないのと同じです。
かつて、どんなにおいしいものを好んで食べた舌もね、死んだ人には必要ないでしょ。
一度は華やかに着飾った体も、死ぬと何着もいらないんじゃないですか。
商人たちはかつてこれらをローマに持って行って、富を得ていたわけです。ところがローマは倒れて富は得られない。

15節を見ますと、「これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために遠く離れて立っていて」、わざわいを叫んで悲しんでいた。
先の地上の王たちは、ローマの強さで嘆き悲しんでいましたね。
10節を見ますと、「大きな都よ。力強い都、バビロンよ。」と叫んでいるわけですが、地上の王たちはなんといっても小さな権力者ですから、権力というものに心を奪われていたんでしょうね。
ところが商人たちを見ますと、商人たちはどちらかというと権力なんてどっちでもよかったんです、華麗なローマを思い起こしているんですね。少しずつ違いが見られますね。

人は権力を求めるか、それとも富による華麗な生活を求めて滅びていくかです。
権力も一瞬のうちに崩れるが、富もまた一瞬のうちに崩れる。
人はいつまでも権力や富を掴んでいることはできない。
これらのことを私たちは教えられますね。

それにしても商人というのは、今も昔も同じで、物を売ったらそれでおしまい。売った先のことなんて一向に心配しない。
よく「アフターサービス万全です」とか、いろいろなものがついていますけれどもね、本当に万全でしょうか。
わたしも前にタイプライターを買ったときに、「時々見に行きます、油をさしに行きますから」って言ったのに一回も来ない。何言ってるの。
時々会うと、「このまえ、前を通りました」って言うから、「油さしていないじゃないの」って言ったら、「あ、忘れていました」って。何年忘れているの、壊れそうだよ。
相手が滅びようと全く心にかけていない。

昨今のファミコンにしろ、最近、事件が起きていますけれどもね、ビデオソフトを何千本も持っているというじゃありませんか。どぎつい恐怖映画なんてたくさん持っているんだそうですね。
タバコにしろ、酒にしろ、買う者がどうなろうと構やしない。
とにかく売って、金さえ取ればいい。こういう社会。買う者がどうなるかなんて、まったく眼中にない。どんなの売ったって構いやしないんじゃないですかね。
とにかく売って、金だけ取ればいいっていうんでしょ。

お金を入れればガチャンと出てくるのがいっぱい置いてあるんじゃ、具合悪いんじゃないですか。それで機械の前には「未成年者は禁止されています」なんて書いてあって意味がありますか。
「何を飲むんだ」と聞いたら、「ちょっと色のついたジュース」だとかなんとかいって、ビニールの袋に入れてカチャカチャ一杯持っていっていましたけどね。
恐ろしいなあと思うんです。
昔の子供は可愛くてね、見つかるとこそこそ逃げていったんです。今は学生服を着て、タバコをそこらへんでスパスパ吸いますからね。なかなか大人よりも上手に吸っているのがいますね。
トラクトを配っている時に吸っているのがいますね。これはやっぱり問題が起きると思うんですね。売る人、商人というのは気を付けなければいけない。

ある酒造会社の人がね、昔ですから小さな町でお酒を造っている人がですね、その人はクリスチャンになりました。この人は焼酎を作っていたんですね。ところがこの焼酎でいかに死ぬ人が多いかということを知りましてね、酒造会社をやめた、というんですね。

私の知り合いのクリスチャンの方は、町の角でタバコ屋さんをしていた。一日に何万円も売れるんだそうですね。でもクリスチャンになったからね、タバコを売ることが出来なくなってきたわけです。そうすると収入がなくなってしまって大変でしょ。でもそのタバコ屋を閉じちゃったんですね。
売ったらそのあとどうなるかと考えたら、売れなくなっちゃった。これは普通だと思うんです。

無思慮で快楽を求めて、多少金を持っている者にただ売りつけるだけ。
小さな子供にファミコンなんて売ったら子供がどうなるか、なんて考えていない。
「一日30分以上しないこと」、なんて刷り込んだって、なんの意味があるか。
アメリカのタバコには「これを吸うと癌になる」って書いてあるんだそうですが、書いたってあまり意味がないと思うんです。
私は昔も今も同じだなあと思うんですよ。売りつけるだけ。
これがまあ、商人たちですね。

Ⅳ.それから17節後半~20節は、船で仕事をする人、船長、船客、水夫など海で働く者、つまり当時はですね、海運業が盛んであった。

特に地中海は世界の貿易水路であったわけです。東京湾も航行する船が激しいそうですが、地中海は、世界の中心的な貿易水路であった。
ですから、地中海を通らないで富とか財宝、食料がローマに運ばれないということがなかった。
パウロがローマに行く時もですね、おそらく貿易船であっただろうと思うんです。彼らは海運業者たち、今風に言えば流通業者ですね。時々「流通センター」なんて書いてあるトラックなんて見たことがあるでしょう。
今でも流通業って問題があるでしょ、業者が入れば入るほど値段が跳ね上がる。
生産者が作ったものがどんどん跳ね上がる。
私が子供のころは、キャベツが切って売ってあるなんて、見たことがなかったですよ。テレビで見ると一個千円で売っている物が、ブルドーザーでつぶしていたりしてね。
流通業者を通すと生産価格が非常に高くなる。

ヨハネの時代には、海運業がすべての担い手であった。嵐でも起きると大変なんです。彼らの富というのはすべてが、ローマに荷物を運ぶことによって得ていたわけです。
しかし、ローマが滅ぶことによって、彼らの収入源が完全に断たれてしまう。ローマのような大消費地がなくなるわけです。東京とかその近隣とか全国どころではない。世界の各地から運ばれてきているんですね。

皆さんがちょっと食べる果物、ブドウなんかもうっかりするとアメリカのカルフォルニアあたりから来ているんじゃないですか。ミカンなんか食べようか、なんて思ったらどこか外国から来ているでしょ。お豆腐を食べるとき、どこのお豆腐を食べていると思いますか。カナダの豆とか、みんな外国の豆ですからね。
ちょっと私たちの食卓を見ても外国産の物がたくさんあるわけです。
ですから、海運業が非常に盛んだった。そしてローマが滅びれば、彼らは他に持っていくところがないわけですから、完全に荒れすたれてしまう。

19節をご覧いただきますとね、「彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。」と書いてあります。
この三者の中で一番激しい嘆きをしているのが海運業者だっていうのが分かるでしょ。
地上の君主たちはね、自分の所に帰ってね、細々とやればいいかもしれませんが、商人たちもまた、他で小売業でもやればいいかもしれませんが、海運業者だけはどうしようもない。
日本の海運業もだいぶ斜めだそうですね。戦後の発展期というのは、海運業は非常に伸びたわけです。しかし今は空輸が多くなったんでしょうかね。海運業は不振に陥っているという話です。

Ⅴ.しかし、こういうような預言というのは、ヨハネが最初にしたわけではないんです。

すでに、旧約の預言者であるエゼキエルが、ヨハネと同じ預言をしているんですね。ですから、おそらく、ヨハネはエゼキエルの預言を覚えていて、それに基づいて預言したんだろうと思うんです。

A.ちょっと、エゼキエル書を見てみましょうかね。

地上の王たちの嘆きについては、エゼキエル26章16~21節当たりくらい、他にも関連して書かれてありますけれども、ここにはツロのことについて書いてあるんです。
当時はローマよりもツロが大きな都市であったんですね。

エゼ26:16 海辺の君主たちはみな、その王座をおり、上着を脱ぎ、あや織りの着物を脱ぎ、恐れを身にまとい、地面にすわり、身震いしながら、おまえのことでおののき、
26:17 おまえについて、哀歌を唱えて言う。海に住む者よ。おまえはどうして海から消えうせたのか。海で強くなり、ほめはやされた町よ。すべての住民を恐れさせたその町とその住民よ。
26:18 今、島々はおまえがくずれ落ちる日に身震いし、海沿いの島々はおまえの最期を見ておびえている。
26:19 まことに、神である主はこう仰せられる。わたしがおまえを廃墟の町とし、住む者のない町々のようにするとき、深淵をおまえの上にわき上がらせ、大水がおまえをおおうとき、
26:20 わたしがおまえを穴に下る者たちとともに昔の民のもとに下らせるとき、わたしはおまえを穴に下る者たちとともに、昔から廃墟であったような地下の国に住ませる。わたしが誉れを与える生ける者の地におまえが住めないようにするためだ。
26:21 わたしはおまえを恐怖とする。おまえはもう存在しなくなり、人がおまえを尋ねても、永久におまえを見つけることはない。──神である主の御告げ──」

エゼキエルの時代は、ツロは大繁栄していたわけですね。ツロは地中海の王者でもありました。今でこそちっぽけな町ですが、彼らは恐るべき海軍というか、海賊と言えば言葉が悪くなりますが、地中海を制覇していたわけです。このフェニキアの人たちはね。
最近このツロの先の地中海の底から、繁栄していた時の宝石とか跡が発見されているらしいですけれどもね。
ツロはエゼキエルの時代には繁栄していましたが、ヨハネの時代にはローマに変わっていた。どちらにしても世界の悪の勢力であった。
私たちは今、ツロというのはそれほど大きな町とは感じませんが、かつてはそうだった。

B.それから地上の商人たちは、エゼキエル27章36節でこういっています。

エゼ 27:36 国々の民の商人たちはおまえをあざけり、おまえは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」 

周りの人から恐れられるようになる。こういうのは最後の滅亡の日まで続くわけですね。悪の原理、悪の勢力を語っている。
支配者は変わる。ツロからローマに変わる。国の名前が変われば地方も変わる、人間も変わる。
しかしそこで働いている悪の勢力は少しも変わっていない。

そして、エゼキエルの27章11~24節を読むと、今日は全部読むことが出来ませんが、商人たちがツロに運んできた商品のリストと、どういう国々から来たかということも書いてある。

商人たちはどのあたりから来たのか。

ガマデ人、これは北シリヤのようですね。
タルシシュ、これはイスパニヤ、今でいえば南スペインですかね。
ヤワン、というのはイオニア。
トバル、メシェク、東小アジアでしょうか。
トガルマというのはアルメニヤ地方、このあいだ大地震がありましたね。
デダンというのはアラブの方ですかね、エドム地方に住むアラブ人たちでしょう。
分かりにくいのですが、右手の小麦、と書いてありますが、これはどうもアモン人の町ようですね。
シェバなんて22節に出てきますが、南アラブ。

あとは分かりにくいような名前もあります。とにかく、あっちこっちから商品がやってきている。
商品がどんなものであったか全部お話できませんが、財宝、軍馬、布、香油とかいろいろなものがここに運ばれています。
丁度、先ほど出てきたローマの29品目に非常によく似ている。

C.海運業者については、エゼキエルは27章3節~10節のあたりに記しているんです。

ここには造船技術が最初のほうに記されています。船の造り方です。
何で造っていたか。もみの木で造る。舟板を造る。帆柱を造る。後半では熟練した船員がいた。
何かこういう船に預言者ヨナは乗ったんでしょうね。そしてタルシシュに行こうとしたんでしょう。
ここを見ますと、特に27章の25~36節ではイスパニヤとの貿易が盛んであったことが書かれていますね。
南スペインはかなり遠いですよ。地中海をずうっと渡っていかなきゃならない。
ところが、先ほど読みましたが、26節~32節当たりを見ますと、ツロがまた船員によって嘆かれる存在になっている。
全部読めませんが28節当たりで、船員の叫び声で海辺は身震いする。30節を見ると、大声を上げ激しく泣き、灰の中を転びまわる。31節にも頭を剃り荒布をまとい、お前の民に心を痛めて泣く。こういうことが書いてありますね。
ツロの滅亡によって海運業者は嘆く。もう、それから利益を得ることが出来なかったからですね。

私たちが歴史の中で知るところでは、この世で繁栄した国は無限にあると言ってもいいですね。限りなく繁栄した国もある。
しかし、今、皆さん、ツロなんて聞いたことがないでしょう。しばらくだけであった。どの繁栄した国も、その繁栄の故に滅んでいった、ということです。
滅びなかった国は一つもない。二千年間滅びずに続いている国はキリストの国だけですね。繁栄し続けている。
こうしてみますと、この世の権力も富も、経済、流通も人の魂を荒廃させていっただけだった、ということになりますね。
人間の歴史はそれを何度も何度も繰り返してきた。経済繁栄をすることによって。

この日本も、お考えになってみるとわかると思いますね。池田内閣によって所得倍増なんて言ってね、どんどん人の心が荒廃してしまったわけですね。
そして、何度も何度もこの荒廃の度合いを深めていく。人の魂の荒れすたれていく度合いを深めていく。
そして、人間の努力ではもうどうにもならなくなった時に、最後の時がやってくるんです。今はまだ、薬を飲むとか、病院に行くとかいろんなことをしていますね。
朝は酒を飲むとか、パチンコに行くとか、遊びに行くとか、それでもまだ飽き足らなくなる。
それで何をするんですか。
小さい子供をつれてきて切り刻んでみたりね、そうでしょ。もう飽き足らなくなってきたからでしょ。恐ろしい。

私は、最後の時が近づいているなあ、人間の心が荒廃し、何度も何度も繰り返していくうちに、うんとひどくなってしまう。
ただイエス様だけが人の魂を再生する。
祝福を与え、真の繁栄を与えることが出来る。

だから、この世の中、最後に残るのはやはりクリスチャンしかいないなあ、と思います。
クリスチャンはこのことをはっきりと知って、私たち自身もローマの滅亡の中に巻き込まれていかないようにしなければならない。

Ⅴ.さて、ヨハネの黙示録に戻りますが、20節をもう一度読んでみましょう。

A.「おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」

この20節は、4節で聞こえた天からの声のもう一つの声ですね。今までのとちょっと違う。
まだ、悪の勢力に対する最終的なさばきは行われていませんけれども、それはすでに決定されている。
「神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」
これは歴史的なローマだけではなくて、普遍的なローマの滅びも決定されている。
しかも、ここに「あなたがたのために」と書いてあります。
これは迫害された神の聖徒たち。神様は迫害されたご自分の民を、このためにずっと忍耐されておりましたけれども、黙っていたわけではない。
この長い間の忍耐は、救われる人が一人でも起きるためという憐みからですね。
けれども、その憐みの故に、忍耐されている故に、人々はさばきは来ない、さばきは取り消しになったかのように思うわけです。
しかし、神様が語られたことは確実に行われる。
そして、このことをすべての人々は心得ておかなければならない、ということです。

さばきは宣告された。確実に来る。

この迫害された者の中に、「あなたがた」と言われていますが、聖徒たち、使徒たち、預言者たち、とこう言っていますから、これはあらゆる人が含まれているわけですね。
もちろんペテロ、ヨハネ、パウロ達も含まれておりますが、ですからこれは神の総決算ということが出来ます。最後の時のことですね。

この声はヨハネの黙示録の6章10節で、祭壇の下で殉教者たちが神に訴えている言葉があるでしょ。
「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
もう強烈な訴えをしているんです。その訴えに対する神のお答えであります。

B.しかも、この声は「この都のことで喜びなさい」と言いました。

これは、先の王たちとか、商人たちとか、海運業者たちとは違います。
彼らは嘆き悲しんだわけですね。
ところが、ここでは「喜びなさい」。
ですから、ローマが滅びれば、嘆き悲しむ者もいれば喜ぶのもいる。
彼らにとってローマの滅亡は嘆きであり、悲しみであった。もはやローマからなんの利益も得られなかったから。利己的な悲しみ。
しかし、神の聖徒たちにとっては待ちに待った喜びの日。長い間苦しい戦いを続けてきた。その戦いから解放される日である、だから喜びなさい。

その日は、権力や富や華やかな生活を求めている者には嘆きの日になるけれども、神の恵みを求めている者には大いなる喜びの日になる、ということです。

これは、今日、私たちも同じように経験する。
権力や富、華やかな生活を求める者は、しばらくの後、嘆き、悲しみの日を迎えることになる。今、私たちの周囲を見渡してもそうです。かつて自分の好きなことを送ってきた人の生涯は、悲しみの中にある、嘆きの中にある、というのをよく見ますね。
しかし、神様に従っている者は必ず喜びを迎えることが出来る。

これはずいぶん対象的ですね。
先の三者は嘆き悲しんでいた。しかし、聖徒たちはこの都の滅亡で喜びなさい。
私たちは喜ぶ者とさせていただきたい。やがてこの世は滅んでいくと、イエス様はお語りになりました。
この世に執着せず、恵みにさらに進ませていただきたいと思います。

お祈り

恵みの深い天の神様、こうして、あなたのみ言葉を知らせていただきありがとうございます。神様は、本当に私たちに、この都のことで喜びが来ることを約束し、また、宣告を下されることをありがとうございます。
華やかに権力に満ちていたあのローマが、あっという間に滅んでしまいました。
この世の名誉も富も権力も、ただちに滅んでいき、一瞬のうちに荒れすたれてしまう驚きと嘆きを、私たちはここで見ました。
しかし、それに頼って生活していない者は、これらの嘆きは私たちにとって喜びに変わるということを知ることが出来て、ありがとうございます。
この地上に、なお、私たちは残されて生きていますが、どうか、よく目を開き、何が行われていくかを、私たちはよく知ったうえで、主のおいでの日を待ち望むことが出来るように、どうぞ顧みてください。
すべての真理を悟った者として残る生涯を歩ませてください。
イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン。

地の塩港南キリスト教会牧師
眞部 明