聖書の探求(087) レビ記 23章 主の祭り(節期)について

23章から25章までは、主の祭り(節期)の章です(民数記28章、29章、申命記16:1~17)。

レビ 23:1 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
23:2 「イスラエル人に告げて言え。あなたがたが聖なる会合として召集する【主】の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。

イスラエルには多くの祭りがありました。それをここに列挙してみますと、

1、週ごとの祭りとしての安息日
2、月の第一日目の祭り(民数記28:11)

民 28:11 あなたがたは月の第一日に、【主】への全焼のいけにえとして若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなければならない。

(春の祭りとして)

3、年の第一月十四日・・・過越の祭り
4、年の第一月十五日から七日間・・・種なしパンの祭り
5、初穂の祭り
6、七週の祭り(五旬節)

(秋の祭りとして)

7、年の七月一日‥‥ラッパの祭り
8、年の七月十日‥‥原罪の日
9、年の七月十五日から七日間‥:仮庵の祭り(収穫感謝祭)

(そのほかに)

10、安息の年(七年ごと)
11、ヨベルの年(五十年ごと)

これらの祭りは、神の民が神を礼拝することを覚えさせるためであるとともに、神の民が自己中心の願いによって所有権や支配権を主張することを禁じるためであったと思われます。

人々はこれらの祭りを通して、

土地は彼らのものではなく、神のものであること、
時間も彼らのものではなく、神のものであること、
収穫物も彼らのものではなく、神のものであること、
彼ら自身も彼らのものではなく、神のものであること(コリント第一6:19,20)、を教えられたのです。

Ⅰコリ 6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

今日、私たちも、これらのことを学ぶ必要があるのではないでしょうか。

五十年目に来るヨベルの年は、神の民がすべて、その身体までもが釈放され、失われていた土地などがすべて戻されて回復する、大いなる祝福の日でした。
これは、土地の贖(あがな)い、神への復帰、罪ののろいからの贖いを意味しています。これは実に、イエス・キリストによる完全な救いを予表するものです。

これらの祭りには、特長があります。

1、「定期に召集されなければならない」(23:4)時が定められています。

レビ 23:4 あなたがたが定期に召集しなければならない聖なる会合、すなわち【主】の例祭は次のとおりである。

2、それらは祝祭であり、喜ばしい時であること。ただし贖(あがな)いの日だけは身を戒めることが命じられています(民数記29:7)。

民 29:7 この第七月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。どんな仕事もしてはならない。

3、必ず、聖なる会合を開かなければなりません。神を賛美し、神を礼拝し、神に仕え ることです。

4、祭りの間はどんな仕事もしてはならない。聖書は不断、正当な仕事でも、神の戒めを破る時、罪になり得ることを示しています。

第一の例祭は、主の安息日(3節、出エジプト記20:8~11、申命記5:12~15)

レビ 23:3 六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても【主】の安息日である。

出 20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
20:9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
20:10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──
20:11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

申 5:12 安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、【主】が命じられたとおりに。
5:13 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
5:14 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も──そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。
5:15 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、【主】が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、【主】は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。

ここでは第一に、仕事をしてよい日が定められています。それは一週間のうち六日間です。まず、私たちは六日間に十分に働かなければなりません。六日間を怠慢に過して、安息日にも働かなければならないことになってはなりません。また主は、六日間、十分に働く人には安息日には働かなくてよいように、祝福を与えてくださいます。六日目にマナが二日分与えられたのは、その一例です(出エジプト記16:22~30)。

出 16:22 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、
16:23 モーセは彼らに言った。「【主】の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、【主】の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。』」
16:24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。
16:25 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは【主】の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません。
16:26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」
16:27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。
16:28 そのとき、【主】はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。
16:29 【主】があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」
16:30 それで、民は七日目に休んだ。

安息日の例祭が最初に記されているのは、最も重要な例祭だからです。しかし安息日は毎週来るので、段々、人々は軽視するようになりました。私たちは、毎週めぐってくる聖日を、一年に一度の聖会よりももっと重要であると心したい。それは一年に一度の誕生日のごちそうよりも、毎日の食事のほうが、健康にはずっと重要であるのと同じです。

安息日は、

1、神の創造のみわざを記念している(ヘブル4:4)。

ヘブル 4:4 というのは、神は七日目について、ある個所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた」と言われました。

2、エジプトの苦役からの安息を覚える(クリスチャンは、罪の苦しみからの解放を覚 える)。

3、カナンの地の安息を覚える (ヘブル4:8)。

ヘブル 4:8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。

4、キリストによる安息を示す(ヘブル4:9~11)。

ヘブル 4:9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。
4:10 神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
4:11 ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。

第二の例祭は、過越の祭りと種を入れないパンの祭り(4~8節)

レビ 23:4 あなたがたが定期に召集しなければならない聖なる会合、すなわち【主】の例祭は次のとおりである。
23:5 第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを【主】にささげる。
23:6 この月の十五日は、【主】の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。
23:7 最初の日は、あなたがたの聖なる会合とし、どんな労働の仕事もしてはならない。
23:8 七日間、火によるささげ物を【主】にささげる。七日目は聖なる会合である。あなたがたは、どんな労働の仕事もしてはならない。」

過越の祭りの起源は出エジプトの出来事にあります。そしてそれはイエス・キリストの十字架による贖罪を予表しています。イエス・キリストはちょうど過越の日に十字架にかかられたのです(ヨハネ19:14、31、42)。

ヨハ 19:14 その日は過越の備え日で、時は第六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」

ヨハ 19:31 その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。

ヨハ 19:42 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

パウロはイエス・キリストを「私たちの過越の小羊キリスト」(コリント第一5:7)と呼んでいます。

Ⅰコリ 5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

これは過越のいけにえの小羊がイエス・キリストを予表していたことを表しています(ヨハネ1:29)。

ヨハ 1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

イスラエル人は一年の初めの第一の月の十四日に、この過越の祭りを行って、一年を始めたのです。クリスチャンの信仰生活の原点、出発点も、この過越の小羊キリストにあるのです。私たちは毎日、このキリストの十字架から一日を出発したいものです。

6節、過越の祭りに続いて、十五日から七日間、種を入れないパンの祭りが行われます。

レビ 23:6 この月の十五日は、【主】の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。

これは出エジプトの時、イスラエル人がパン種を入れないパンを持って出発したことに基づいています。

新約聖書では「パン種」は罪を表しています(コリント第一5:6~8、マタイ16:6)。

Ⅰコリ 5:6 あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
5:8 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。

マタ 16:6 イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」

それ故、種なしパンは、純粋な、真実な信仰を意味しています。キリストの十字架(過越)の救いを受けたなら、その後は、真実な信仰の種なしパンの信仰生活が必要です。高慢や悪意やネタミなどのパン種がわずかでも残っているなら、たちまちそれが働いて私たちを罪の行いに引きずり込むようになるのです。この種なしパンを七日間食べるように命じられているのは、このことをよく覚えるようにということです。

7,8節、この種なしパンの祭りの最初の日と七日目には聖会を開くように命じられ、仕事をしてはいけないと命じられています。おそらく、それ以外の五日は仕事をしてもよかったのでしょう。

レビ 23:7 最初の日は、あなたがたの聖なる会合とし、どんな労働の仕事もしてはならない。
23:8 七日間、火によるささげ物を【主】にささげる。七日目は聖なる会合である。あなたがたは、どんな労働の仕事もしてはならない。」

しかし聖会を開くのは、ただ、こういう儀式を行うだけでなく、必ず、神を賛美し、礼拝することによって、その意味を明確なものとしたのです。私たちも毎日の生活が信仰生活でなければならないことは勿論ですが、それがただの形だけのものではなく、心を集中して神を賛美し、礼拝し、神に仕えることによって、より信仰を深めていかなければなりません。

第三に、初穂の供え物(9~14節)

レビ 23:9 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
23:10 「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたが入り、収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持って来る。
23:11 祭司は、あなたがたが受け入れられるために、その束を【主】に向かって揺り動かす。祭司は安息日の翌日、それを揺り動かさなければならない。
23:12 あなたがたは、束を揺り動かすその日に、【主】への全焼のいけにえとして、一歳の傷のない雄の子羊をささげる。
23:13 その穀物のささげ物は、油を混ぜた小麦粉十分の二エパであり、【主】への火によるささげ物、なだめのかおりである。その注ぎのささげ物はぶどう酒で、一ヒンの四分の一である。
23:14 あなたがたは神へのささげ物を持って来るその日まで、パンも、炒り麦も、新穀も食べてはならない。これはあなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。

これは神の約束の地を領有するようになった時に守らなければならない四つの律法の第三に当ります(14:34、19:23、25:2)。

レビ 14:34 「わたしがあなたがたに所有地として与えるカナンの地に、あなたがたが入り、わたしがその所有地にある家にツァラアトの患部を生じさせ、

レビ 19:23 あなたがたが、かの地に入って、どんな果樹でも植えるとき、その実はまだ割礼のないものとみなさなければならない。三年の間、それはあなたがたにとって割礼のないものとなる。食べてはならない。

レビ 25:2 「イスラエル人に告げて言え。わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は【主】の安息を守らなければならない。

初穂の束は揺祭としてささげます。

11節の「安息日の翌日」は、パリサイ人は毎週の安息日の翌日と解釈し、サドカイ人は種を入れないパンの祭りの週に先立って祝われる聖会の日としての過越と解釈しており、まちまちです。

12節、この祭りでは、一歳の傷のない雄の子羊を全焼のいけにえとし、油を混ぜた小麦粉十分の二エパの小麦粉の素祭とぶどう酒を灌祭としてささげました。

23:12 あなたがたは、束を揺り動かすその日に、【主】への全焼のいけにえとして、一歳の傷のない雄の子羊をささげる。
23:13 その穀物のささげ物は、油を混ぜた小麦粉十分の二エパであり、【主】への火によるささげ物、なだめのかおりである。その注ぎのささげ物はぶどう酒で、一ヒンの四分の一である。

14節、このように初穂をまず、神にささげるまでは、パンも、炒り麦も、新穀も食べてはならないと命じられています。

23:14 あなたがたは神へのささげ物を持って来るその日まで、パンも、炒り麦も、新穀も食べてはならない。これはあなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。

初穂をささげることは、収穫のすべてを神にささげることを意味しています。
この初穂のささげものは、明らかに型です。
「御霊の初穂をいただいている私たち」(ローマ8:23)・・・異邦人のクリスチャンに対して、

ロマ 8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

「初物が聖ければ」(ローマ11:16)・・・ユダヤ人の先祖を指している。

ロマ 11:16 初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。

「今やキリストは、眠った者の初穂」(コリント第一15:20)

Ⅰコリ 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

「まず初穂であるキリスト」(コリント第一15:23)・・・キリスト

Ⅰコリ 15:23 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。

「アカヤの初穂」(コリント第一16:15)・・・アカヤ地方のクリスチャン

Ⅰコリ 16:15 兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ご承知のように、ステパナの家族は、アカヤの初穂であって、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。

「被造物の初穂」(ヤコブ1:18)

ヤコブ 1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。

「神および小羊にささげられる初穂」(ヨハネの黙示録14:4)・・・あがなわれた人々

黙 14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。

これらの初穂は、ある時は旧約の信仰者を指し、またキリスト御自身を指していたり、キリストの救いにあずかった最初のクリスチャンたちを示しています。私たちも初穂として自分の霊魂を神にささげることに専念したいものです。

この初穂の祭りは、神によってカナンの地が与えられたことの記念の感謝を表していますが、クリスチャンにとっては、天の約束の地に入ること、すなわち、復活の感謝を意味しています。

第四は、七週の祭り(15~22節)

レビ 23:15 あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って来た日から、満七週間が終わるまでを数える。
23:16 七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を【主】にささげなければならない。
23:17 あなたがたの住まいから、奉献物としてパン──【主】への初穂として、十分の二エパの小麦粉にパン種を入れて焼かれるもの──二個を持って来なければならない。
23:18 そのパンといっしょに、【主】への全焼のいけにえとして、一歳の傷のない雄の子羊七頭、若い雄牛一頭、雄羊二頭、また、【主】へのなだめのかおりの、火によるささげ物として、彼らの穀物のささげ物と注ぎのささげ物とをささげる。
23:19 また、雄やぎ一頭を、罪のためのいけにえとし、一歳の雄の子羊二頭を、和解のいけにえとする。
23:20 祭司は、これら二頭の雄の子羊を、初穂のパンといっしょに、奉献物として【主】に向かって揺り動かす。これらは【主】の聖なるものであり、祭司のものとなる。
23:21 その日、あなたがたは聖なる会合を召集する。それはあなたがたのためである。どんな労働の仕事もしてはならない。これはあなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。
23:22 あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、【主】である。」

16節、「七回目の安息日の翌日まで五十を数え」、これは五旬節(ペンテコステ)です。過越がキリストの十字架の救いを表し、初穂が復活を表しており、七週の祭りは聖霊降臨のペンテコステを表しています。実際、使徒2章の聖霊降臨は、この祭りの日に起きています。

17節、この時には、パン種を入れたパン、すなわち、常食のパンを二個ささげ、これといっしょに全焼のいけにえと、穀物のささげものと、注ぎのささげものと、罪のためのいけにえと、和解のいけにえをささげます。

この祭りは小麦の収穫が終わったことを意味しますから、感謝のいけにえをささげるのです。主の弟子たちもペンテコステの日には、聖霊に満たされ、喜びにあふれています。

22節では、落ち穂を残して、恵みを他人に分かつことが教えられています。ペンテコステの聖霊はいつも、恵みを他人に分かつお方です(使徒2:44~47)。

使 2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

この恵みは、貧しい者も、在留異国人も受けることができます。七週の祭りは、喜びと愛と思いやりと施しに満ちた祭りです。自分も満ちあふれ、また他の人も満たされる祭りです。クリスチャンの信仰がここに到達するためにはやはり聖霊に満たされる必要があります。

この祭りで、種の入ったパンを用いるのは、
1、神が日々の糧を供給してくださることに対する信仰の告白
2、自分が罪(種が入っている)を犯しやすい人間であることの告白を意味しています。
この二つを祝福されるのは聖霊です。

第五は、ラッパの祭り(24,25節)

レビ 23:24 「イスラエル人に告げて言え。第七月の第一日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。
23:25 どんな労働の仕事もしてはならない。火によるささげ物を【主】にささげなさい。」

七月は特別な月として扱われているようです。それは「七」という数が神の完全数であるからか、それとも一年の上半期を終わり、下半期に入る月だからかも知れません。

七月には三つの例祭が命じられています。
ラッパの祭りと、贖罪の日と、仮庵の祭りです。
私たちも七、八月をただ夏休みの行楽に使ってしまわず、もっと信仰的に意味深く過したいものです。

ラッパの祭りは簡潔に述べられています。
七月一日にラッパが吹き鳴らされ、一年のうちで最も重要な月であることを告げ知らされます。この七月が重要な月であるというのは、先に挙げた理由の外に、二つの大切な行事、すなわち、贖罪日と仮庵の祭りがあること、そして穀物の収穫の終わる月であるからです。

この時に用いるラッパは銀のラッパ(民数記10:2~10)ではなく、雄羊の角で、ヨベルの年を告げるのにも用いられています。

民 10:2 「銀のラッパを二本作らせよ。それを打ち物作りとし、あなたはそれで会衆を召集し、また宿営を出発させなければならない。
・・・

またヨシュアたちがエリコの城を陥落させる時にも用いています(ヨシュア記六章)。これは特に、壮重な時に用いています。

このラッパが吹かれる時には、二つの意味があったようです。一つは、民の心を大切な二つの行事に向けさせて、整えるためであり、もう一つは、神の民がその契約を守り、先祖たちと自分たちとに示された恵みを思い起こすためです。

現代の私たちは、物質主義になってしまって、神を思う時、神の恵みや契約を思う節期をあまり持たなくなってしまっています。このラッパは、そういう心が神から離れやすい人間を、通常の仕事から引き戻して、思いを神に向けさせるのに重要な役割を果たしました。

後に、ユダヤ人はこの第七の月をチスリと呼び、政暦の上で一年の初めとしました。これは今日の太陽暦では9~10月頃です。

第六は、贖罪の日(26~32節、レビ記10章、民数記29章、ヘブル7:27)

レビ 23:26 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
23:27 「特にこの第七月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。あなたがたは身を戒めて、火によるささげ物を【主】にささげなければならない。
23:28 その日のうちは、いっさいの仕事をしてはならない。その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、【主】の前で、あなたがたの贖いがなされるからである。
23:29 その日に身を戒めない者はだれでも、その民から断ち切られる。
23:30 その日のうちに仕事を少しでもする者はだれでも、わたしはその者を、彼の民の間から滅ぼす。
23:31 どんな仕事もしてはならない。これは、あなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。
23:32 これは、あなたがたの全き休みの安息である。あなたがたは身を戒める。すなわち、その月の九日の夕方には、その夕方から次の夕方まで、あなたがたの安息を守らなければならない。」

ヘブル 7:27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。

贖罪日に祭司アロンが果たすべきことは、これまでに詳しく述べられているので、ここでは民が行うべきことが記されています。

主の例祭はどれも、全き休みの安息の日ですが、ここでは特に、「仕事をしてはならない」ことが三回も繰り返されています。ここに神の民とこの世の民との本質的な違いがあります。この世の民の生活の中心は、富を得るための経済活動、すなわち、仕事をすることです。しかし神の民の生活の中心は、全き安息であり、仕事は神の祝福なしには成り立たないことなのです。それ故、この世の人は自分の力で精を出して仕事をしようとし、貪欲と過労で倒れてしまいます。神の民は信仰により、神の知意と力をいただいて、自分の仕事を果たそうとするのです。クリスチャンはこの違いをはっきりと意識して生活する必要があります。

次に、「身を戒める」ことも三回繰り返されています。これは断食をし、身を慎しんで敬虔な生活をすることを言っているようです。
現代は「飽食の時代」と言われ、物が氾濫し、ぜいたく三昧の生活に慣れ切っていますが、クリスチャンは常日頃から身を戒める生活をする必要があります。我侭、好き放題の生活は戒めなければなりません。お金の使い方、時間の使い方、読む物、見る物、食べる物、着る物にも慎しみ深く敬虔であるべきです。

37節、「火によるささげ物、すなわち、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、和解のいけにえ、注ぎのささげ物を、それぞれ定められた日に、主にささげなければなりません。」
イスラエル人はこの時期、収穫を終えて、最も裕福になっている時です。この時に彼らが主の贖罪を忘れていたら、快楽と放縦の生活に堕落してしまう危険があります。それ故、いけにえとささげ物をささげることによって主の贖罪を覚えさせたのです。私たちも罪から救われた当初は恵みに新鮮に感動して感謝しているのですが、段々と祝福を受けて、平安のうちに裕福になってくると、その恵みの感動も消え去り、主の贖罪の恵みを忘れて、再び高慢と自己中心の態度をとるようになってしまう危険があります。私たちの信仰が、「苦しい時の神頼み」になってしまわないように気をつけたいものです。何十年たっても、どんなに祝福を受けて成長しても、いつも主の贖罪の恵みを心に深く覚えて、敬虔にへりくだった信仰生活を営ませていただきたい。

28節、「その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、主の前で、あなたがたの贖いがなされるからである。」

イスラエル人にとっては、第一の月の過越の祭りで主の贖罪を深く覚えさせられ、そして半年過ぎて、再び、主の贖罪を覚えるための祭りを行っています。それ以外に毎週、安息日に主の贖罪を覚えているのです。こうして神の民は決して主の贖罪を忘れることのないようにと、神はご計画されたのです。

しかし、せっかくこうして定められた祭りも、やがて行われなくなり、イスラエルの民は偶像礼拝へと傾いていくのです。もし、これらの祭りがずっと守られていたなら、イスラエルは捕囚という審判を受けることはなかったでしょう。主が31節で、「これは、あなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。」と命じられたのには、そういう意味が含まれており、今日、私たちは、歴史の中に神の戒めの真実さと厳粛さを見るのです。神の戒めを守って、祝福されなかった者はいないし(ヨハネ15:10~12)、神の戒めを破って、刑罰を受けなかった者もいません。

ヨハ 15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

神のみことばは必ず実行されてきたことを、私たちは歴史の中に見ているのです。今日、私たちはいつも主の贖罪の恵みを覚えて生活しているでしょうか。教会はいつも主の贖罪を中心メッセージとしているでしょうか。教会は一年中、主の贖罪を覚えるための計画を行っているでしょうか。これらの点は私たちにとって非常に重要なことなのです。もう一度、あらためて考え直させていただきたいものです。

第七は、仮庵の祭り(33~44節)

レビ 23:33 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
23:34 「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる【主】の仮庵の祭りが始まる。
23:35 最初の日は聖なる会合であって、あなたがたは、労働の仕事はいっさいしてはならない。
23:36 七日間、あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげなければならない。八日目も、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげる。これはきよめの集会で、労働の仕事はいっさいしてはならない。
23:37 以上が【主】の例祭である。あなたがたは聖なる会合を召集して、火によるささげ物、すなわち、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、和解のいけにえ、注ぎのささげ物を、それぞれ定められた日に、【主】にささげなければならない。
23:38 このほか、【主】の安息日、また、あなたがたが【主】にささげる献上物、あらゆる誓願のささげ物、進んでささげるあらゆるささげ物がある。
23:39 特に、あなたがたがその土地の収穫をし終わった第七月の十五日には、七日間にわたる【主】の祭りを祝わなければならない。最初の日は全き休みの日であり、八日目も全き休みの日である。
23:40 最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝、また川縁の柳を取り、七日間、あなたがたの神、【主】の前で喜ぶ。
23:41 年に七日間、【主】の祭りとしてこれを祝う。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてとして、第七月にこれを祝わなければならない。
23:42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
23:43 これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、【主】である。」
23:44 こうしてモーセはイスラエル人に【主】の例祭について告げた。

仮庵の祭りは第七の月の一五日から七日間行われます。この祭りは43節にあるように、イスラエルの民がエジプトを脱出した後、長い荒野の放浪の旅をしたことをイスラエルの民の子孫が覚えるために行われています。クリスチャンは主ご自身を礼拝することとともに、もう一面、自分がどのような状態から救い出されたかを思い出し、主の恵みを感謝する時を持つべきです。

「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。」(イザヤ51:1)

36節、この祭りは収穫期の終わりに開かれる、喜びに満ちた祝祭です。

23:36 七日間、あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげなければならない。八日目も、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげる。これはきよめの集会で、労働の仕事はいっさいしてはならない。

最初の日と八日目は全き休みの日として労働の仕事をしてはならないことが命じられていますが、過越の祭りのような厳格さは見られず、パン種を入れることも禁止されていません。民数記29章12~38節には、この祭りのささげ物の内容が記されています。

42節、この七日間は仮庵に住まなければならないと命じられています。

23:42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。

どんなに祝福を受け、繁栄していても一年に一度、そまつな仮小屋に住む経験は、イスラエル人が高ぶることを防ぎ、神への信頼の心を強めたことでしょう。このことを忘れた時、民は神に対しておごり高ぶるようになったのです。
これはクリスチャンにおいても非常に大切なことで、私たちは日常生活において、どんなに祝福されても、質素な生活をすることによって、神への信頼とへりくだりを保つ必要があります。

40節、しかしこの祭りは、大人にとっても、子どもにとっても、神のみ前で行う大なる喜びの祭りです。

23:40 最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝、また川縁の柳を取り、七日間、あなたがたの神、【主】の前で喜ぶ。

クリスチャンは質素であっても、主の御前で喜びの集会、喜びの信仰生活を営むことができるのです。クリスチャンにとって、集会や信仰生活が喜びにあふれるものとなるためには、救いと聖潔の信仰がはっきりとしていなければなりません。この恵みがはっきりしていないと、集会も信仰生活も、窮屈で、退屈な、嫌なものになってしまいます。

クリスチャンと呼ばれている人々の中に、集会や信仰生活を喜んでいない人を多く見かけます。このような状態の人は、信仰ではなく、律法的になっているのです。このような人は、たとい何十年前に洗礼を受けていても、救いの入口を明確にするところから始めてください。

イスラエルの民が、この仮庵の祭りを喜び楽しむことができる理由は、彼らがエジプトの奴隷生活から救い出されたという実際的な経験をしていたからなのです。クリスチャンに喜びがないのは、救いと聖潔の経験をしていないか、明確でないことが、その主要な原因なのです。

37と38節は挿入的ですが、主の例祭の総括です。

23:37 以上が【主】の例祭である。あなたがたは聖なる会合を召集して、火によるささげ物、すなわち、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、和解のいけにえ、注ぎのささげ物を、それぞれ定められた日に、【主】にささげなければならない。
23:38 このほか、【主】の安息日、また、あなたがたが【主】にささげる献上物、あらゆる誓願のささげ物、進んでささげるあらゆるささげ物がある。

これらの例祭が信仰によって、自発的に心から行われる時、神の民は力を受けて強くなり、この世に対して大きなあかしの力を持つようになります。

仮庵の祭りは、収穫期の締括りの祭りですが、
1、七日間、仮庵に住むことによって、荒野の放浪時代を思い起こさせ、神に対するへ りくだりと信頼を教えています。
2、七年の終わりごとの仮庵の祭りでは、律法を読み、学ぶ機会があります(申命記31:9~13)。

申 31:9 モーセはこのみおしえを書きしるし、【主】の契約の箱を運ぶレビ族の祭司たちと、イスラエルのすべての長老たちとに、これを授けた。
31:10 そして、モーセは彼らに命じて言った。「七年の終わりごとに、すなわち免除の年の定めの時、仮庵の祭りに、
31:11 イスラエルのすべての人々が、主の選ぶ場所で、あなたの神、【主】の御顔を拝するために来るとき、あなたは、イスラエルのすべての人々の前で、このみおしえを読んで聞かせなければならない。
31:12 民を、男も、女も、子どもも、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も、集めなさい。彼らがこれを聞いて学び、あなたがたの神、【主】を恐れ、このみおしえのすべてのことばを守り行うためである。
31:13 これを知らない彼らの子どもたちもこれを聞き、あなたがたが、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、彼らが生きるかぎり、あなたがたの神、【主】を恐れることを学ばなければならない。」

3、やがて、この時は、散らされている家族が集まってきて交わりを楽しむ時となりました。

こうして、毎週行われる安息日の礼拝や、毎月の例祭、そして年間に行われる重要な節期の祭りは、神の民の生活の骨格となり、彼らが完全に守られ、祝福され、繁栄していく原動力となっていったのです。

しかし彼らがこれらの例祭を無視して行わなくなった時、神のさばきを受けて捕囚とされたのです。このことは私たちへの教訓ではないでしょうか。

(まなべあきら 1991.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、エルサレムにて安息日の夕食に招かれた時の様子、ユダヤ人家庭では、金曜の日没から土曜の日没までを安息日(シャバット)として、すべての労働を休止し、家族や知人が集まって食事を共にして交わりを楽しみます。(2016年春訪問)


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