週報No.2293 希望の預言エゼキエル書(74)「霊的祝福」 44:1~31

2021年6月27日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 44:1~31
44:1 彼が私を聖所の東向きの外の門に連れ戻ると、門は閉じていた。
44:2 【主】は私に仰せられた。「この門は閉じたままにしておけ。あけてはならない。だれもここから入ってはならない。イスラエルの神、【主】がここから入られたからだ。これは閉じたままにしておかなければならない。
44:3 ただ、君主だけが、君主として【主】の前でパンを食べるためにそこにすわることができる。彼は門の玄関の間を通って入り、またそこを通って出て行かなければならない。」
44:4 彼は私を、北の門を通って神殿の前に連れて行った。私が見ると、なんと、【主】の栄光が【主】の神殿に満ちていた。そこで、私はひれ伏した。
44:5 すると【主】は私に仰せられた。「人の子よ。【主】の宮のすべての定めとそのすべての律法について、わたしがあなたに告げていることをことごとく心に留め、それに目を注ぎ、耳を傾けよ。宮に入れる者と、聖所に入れないすべての者を心に留めよ。
44:6 あなたは、反逆の家、イスラエルの家にこう言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。あなたがたのあらゆる忌みきらうべきわざは、もうたくさんだ。
44:7 あなたがたは、心にも肉体にも割礼を受けていない外国人を連れて来て、わたしの聖所におらせ、わたしの宮を汚した。あなたがたは、わたしのパンと脂肪と血とをささげたが、あなたがたのすべての忌みきらうべきわざによって、わたしとの契約を破った。
44:8 あなたがたは、わたしの聖所での任務も果たさず、かえって、自分たちの代わりにわたしの聖所で任務を果たす者たちを置いた。
44:9 神である主はこう仰せられる。心にも肉体にも割礼を受けていない外国人は、だれもわたしの聖所に入ってはならない。イスラエル人の中にいる外国人はみなそうだ。
44:10 レビ人でも、イスラエルが迷って自分たちの偶像を慕って、わたしから迷い出たとき、わたしを捨て去ったので、彼らは自分たちの咎を負わなければならない。
44:11 彼らは宮の門で番をし、宮で奉仕をして、わたしの聖所で仕えるはずなのだ。彼らは民のために、全焼のいけにえや、ほかのいけにえをほふり、民に仕えて彼らに奉仕しなければならない。
44:12 それなのにレビ人たちは、民の偶像の前で民に仕え、イスラエルの家を不義に引き込んだ。それゆえ、わたしは彼らに誓う。──神である主の御告げ──彼らは自分たちの咎を負わなければならない。
44:13 彼らは、祭司としてわたしに仕えるために、わたしに近づいてはならない。わたしのあらゆる聖なる物、または最も聖なる物に触れてはならない。彼らは自分たちの恥と自分たちの行った忌みきらうべきわざの責めとを負わなければならない。
44:14 わたしは彼らに、宮のあらゆる奉仕とそこで行われるすべての宮の任務を果たさせる。
44:15 しかし、イスラエル人が迷ってわたしから離れたときもわたしの聖所の任務を果たした、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちは、わたしに近づいてわたしに仕え、わたしに脂肪と血とをささげてわたしに仕えることができる。──神である主の御告げ──
44:16 彼らはわたしの聖所に入り、わたしの机に近づいてわたしに仕え、わたしへの任務を果たすことができる。
44:17 彼らは内庭の門に入るときには、亜麻布の服を着なければならない。内庭の門、および神殿の中で務めをするときは、毛織り物を身に着けてはならない。
44:18 頭には亜麻布のかぶり物をかぶり、腰には亜麻布のももひきをはかなければならない。汗の出るような物を身に着けてはならない。
44:19 彼らが外庭に出て、外庭の民のところに出て行くときは、務めのときに着ていた服を脱ぎ、それを聖所の部屋にしまい、ほかの服を着なければならない。その服によって民を聖なるものとしないためである。
44:20 彼らは頭をそってはならない。髪を長く伸ばしすぎてもいけない。頭は適当に刈らなければならない。
44:21 祭司はだれも、内庭に入るときには、ぶどう酒を飲んではならない。
44:22 やもめや、離婚された女を妻にしてはならない。ただ、イスラエルの民のうちの処女をめとらなければならない。しかし、やもめでも、それが祭司のやもめであれば、めとってもよい。
44:23 彼らは、わたしの民に、聖なるものと俗なるものとの違いを教え、汚れたものときよいものとの区別を教えなければならない。
44:24 争いがあるときには、彼らは、わたしの定めに従ってさばきの座に着き、これをさばかなければならない。わたしのすべての例祭には、わたしの律法とおきてとを守り、わたしの安息日を聖別しなければならない。
44:25 彼らは、死人に近づいて身を汚してはならない。ただし、自分の父、母、息子、娘、兄弟、未婚の姉妹のためには汚れてもよい。
44:26 その場合、その人は、きよめられて後、さらに七日間待たなければならない。
44:27 聖所で仕えるために聖所の内庭に入る日には、彼は罪のためのいけにえをささげなければならない。──神である主の御告げ──
44:28 これが彼らの相続地となる。わたしが彼らの相続地である。あなたがたはイスラエルの中で彼らに所有地を与えてはならない。わたしが彼らの所有地である。
44:29 彼らの食物は、穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえである。イスラエルのうちのすべての献納物は彼らのものである。
44:30 あらゆる種類の初物、あなたがたのあらゆる奉納物のうちの最上の奉納物は、すべて祭司たちのものであり、あなたがたの麦粉の初物も祭司に与えなければならない。あなたの家に祝福が宿るためである。
44:31 祭司たちは、死んだものや裂き殺されたものはすべて、鳥であれ獣であれ、食べてはならない。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

44:15~31、新しい神殿の祭司たち

「しかし、イスラエル人が迷ってわたしから離れたときもわたしの聖所の任務を果たした、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちは、わたしに近づいてわたしに仕え、わたしに脂肪と血とをささげてわたしに仕えることができる。-神である主の御告げ-」(44:15)

ツァドクはダビデの時代の祭司で、アブシャロムがダビデに反逆した時にも、ダビデ王に忠実であり続け(Ⅱサムエル記15:24~)、後に、ツァドクはソロモンにイスラエルの王として、油を注いだ祭司です(Ⅰ列王記1:34,35)。

レビの全ての子たちの中でツァドクの子たちだけが、捕囚前のイスラエルの国民的偶像礼拝時代にも、主に忠実で、汚れなかった祭司たちで、神はツァドクの子孫を新しい神殿の指導者とすることによって、彼らの信仰の忠実さに報いられたのです。

神は、レビの直系の子孫であるというだけでは、この祝福を与えませんでしたが、霊的な信仰の忠実さには、忘れることなく、報われたのです(マルコ9:41)。

神はツァドクの子孫に、四つの祝福を約束されました。

第一は、「わたしに近づいて」(ヤコブ4:8)
第二、「わたしに仕えることができる。」神に受け入れられること、神に喜ばれること(ローマ12:1)。
第三、「わたしの聖所に入り」神を礼拝する霊的臨在の特権(へブル4:16)。
第四、「わたしの机に近づいて」祭司のために聖別された食事をすること、いのちのパンといのちの水でたましいが養われること。

「わたしへの任務を果たすことができる。」(44:16後半)

ツァドクの子孫たちは、これらの霊的祝福を保つために、四つの任務を命じられています。

第一は、祭司は、個人生活においてきよくあることです(17節)。
第二に、祭司は、社会生活において、きよくなければなりません(19~22節)。
第三に、祭司たちの奉仕には、教育が必要でした(23節)。

霊的教育の要点の一つは、聖なる物と俗なる物の違い、きよいものと汚れたものの区別ができるようになり、選別できるようになることです(へブル5:12~14)。

クリスチャンの一人一人が、みことばと聖霊に従うようになり、幼子の状態と大人の状態の区別がつけられるようになると、この世にならうことなく、きよめの道を歩む人が増えて来ます。信仰が成熟している状態とは、みことばと聖霊によって、霊的に健全な判断や、決断や、選択が出来る人のことです。

最後に第四として、祭司たちは、争いに対して正しくさばいて治める、重大な責任があります(24節)。

さばきの基準は、「わたしの定め」神のみことばです。多数決や人の道徳基準ではありません。今日でも、神のみことばを基準にしたさばきができないで、この世の基準によるさばきが行なわれています。

44:28~31は、祭司の受ける報いです。

物質的祝福よりも、むしろ、霊的祝福です。

「これが彼らの相続地となる。わたしが彼らの相続地である。あなたがたはイスラエルの中で彼らに所有地を与えてはならない。わたしが彼らの所有地である。」(28節)

ツァドクの子孫の祭司たちには、むしろ、相続地としての土地は当てられず、神ご自身が彼らの相続地となられたのです。

肉的な心を持っている人には、不満が残るかもしれませんが、神ご自身が相続地であるという、霊的祝福は無限の祝福です。
霊的祝福を与えられる神は、生活に必要なものをも満たして下さいます。

「だから、神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)

祭司の食物と必要なものは、穀物のささげ物や、罪のためのいけにえや、すべての奉納物から与えられました(44:29~30)。

ここで、エゼキエルに示されている新しい神の領域では、霊的な奉仕が最重要事とされています。神の民は、霊的奉仕を尊び、軽んじてはなりません。

「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために骨折っている長老は、特にそうです。」(Ⅰテモテ5:17)

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙12章1節
「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

<集会案内>

◇6月30日(水)聖別会(46)午前10時半
第二の恩寵のみわざ(1)「なぜ、第二のみわざなのか」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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