聖書の探求(101b) 民数記 10章 イスラエルの行軍の様子

この章はイスラエルの行軍の様子を記しています。

1~10節、二本の銀のラッパ

民 10:1 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
10:2 「銀のラッパを二本作らせよ。それを打ち物作りとし、あなたはそれで会衆を召集し、また宿営を出発させなければならない。

このラッパはヨベルの時や礼拝の時に用いられた雄牛の角で作られたラッパとは異なります。主は角のラッパとははっきり区別するために銀のラッパを作らせました。その音色は全く異なりますから、民が聞き違えることはありません。

銀のラッパはモーセの指導に従って、民を召集したり、宿営を出発させたり、民が一体となって集団行動をとる時に用いられました。

神の民は普段、別々の生活行動をしていても、礼拝をする時、あるいは宣教をする時、また合同の活動をする時は、各々バラバラの勝手な行動をせず、一致して秩序正しく行動すべきです。このことは、この世の人々に対してあかしの力となります。このあたりのことが、クリスチャンはもっともっと訓練される必要があるのではないでしょうか。

そのために、神は二本の銀のラッパを作らせました。一度に民全体に命令を伝えるためです。神は民が神の目的を遂行するために、一致協力して働くことを求めておられます。そのためには、主の命令ははっきりと伝えなければなりません。

「ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。」(コリント第一、14:8)

私たちは今日、聞く人の好みに迎合せず、神のメッセージを、十字架の福音をはっきりと伝えなければなりません。この真理がボヤケてくると、人々は主を信じ、主に従うことができなくなってしまうのです。せっかく教会の働きをしていても、はっきりと主のご命令が伝えられていなければ、人々はさまようようになるだけです。最初、人々はそれを聞いて喜ばないかもしれません。しかし私たちは真理を勝手に曲げたり、うすめたりしてはなりません。

民に伝える命令の内容は、使用するラッパの数や吹き鳴らし方によって定められています。

3節、二本のラッパが長く鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入口に召集されました。

民 10:3 この二つが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入口の、あなたのところに集まる。

この二本のラッパの音色ははっきり異なっていたと思われます。

4節、一つのラッパだけが鳴らされると、分団の代表である族長たちが召集されました。

民 10:4 もしその一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。

5節以後には、「短く吹き鳴らす」ことが命じられています。これは「一息に吹く」警報です。警報はいずれも出発することを意味しています。

民 10:5 また、あなたがたがそれを短く吹き鳴らすと、東側に宿っている宿営が出発する。
10:6 あなたがたが二度目に短く吹き鳴らすと、南側に宿っている宿営が出発する。彼らが出発するには、短く吹き鳴らさなければならない。
10:7 集会を召集するときには、長く吹き鳴らさなければならない。短く吹き鳴らしてはならない。

まず、警報は宿営の出発の時に鳴らされました。最初の合図で東側の宿営が出発し、二度目の時は南側の宿営が出発します。西と北の宿営の出発についての第三、第四のラッパについては記されていませんが、それは省略されています。民は雲の柱、火の柱が上ると出発したのですが、その時、ラッパの合図が加わると、出発の合図を間違えることはなかったでしょう。民の中には耳の聞こえない人や目の見えない人もおられたでしょうから、主の配慮は十分になされたのです。

9節、第二の警報は、侵略者との戦いに出る時です。

民 10:9 また、あなたがたの国で、あなたがたを襲う侵略者との戦いに出る場合は、ラッパを短く吹き鳴らす。あなたがたが、あなたがたの神、【主】の前に覚えられ、あなたがたの敵から救われるためである。

「あなたがたの国で」とあるのは、民が約束の地に入った時のことを言っています。それ故、このラッパは荒野の旅路だけでなく、カナンの地に入ってからも用いるべきでした。このラッパは軍隊を召集するためだけでなく、主の前に覚えられ、敵から救われるためでした。このことは、民がラッパによって神の命令に忠実に従っていることを示しています。

「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(使徒10:4)

コルネリオはローマ人でイタリヤ隊の百人隊長でしたが、敬虔な人で、全家族とともに神を畏れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていました。彼の祈りや行いはすべて神に覚えられて、ついに全家族が聖霊に満たされるという恵みを受けています。私たちも毎日、神に覚えられる祈りや行いの生活をしたいものです。コルネリオのことによって、常日頃の信仰生活がいかに重要かを教えられます。

10節、さらにラッパは、例祭と新月の日の全焼のいけにえと、和解のいけにえをささげる時にも鳴り渡らせるように命じられています。

民 10:10 また、あなたがたの喜びの日、あなたがたの例祭と新月の日に、あなたがたの全焼のいけにえと、和解のいけにえの上に、ラッパを鳴り渡らせるなら、あなたがたは、あなたがたの神の前に覚えられる。わたしはあなたがたの神、【主】である。」

この日は喜びの日ですから、警報としてではなく、祝うために鳴り渡らせるのです。私たちも口や楽器を用いて、主の日に、喜びの日に主を讃美したいものです。これもまた主に覚えられ、喜ばれます。

8節、このラッパは代々にわたる永遠の定めです。

民 10:8 祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の定めである。

クリスチャンは一致して行動し、一致して戦い、一致して祝い、一致して喜ぶことが必要です。教会はこれらのことを実現できるように計画していかなければなりません。

11~28節、シナイからの初めての旅立ち

この箇所から、22章1節のモアブの草原での宿営までの延々と四十年間にわたって続く荒野の旅が始まることになるのです。

勿論、イスラエル人はこの旅がこれほど長く続く旅になることは、知るよしもなかったでしょう。この四十年間の旅は、13章のカデシュにおけるカナン偵察の出来事によって二分することができます。カデシュ以前の旅は目的地がはっきりしている旅でした。しかしカデシュ以後の旅は目的地を見失った放浪の旅でした。

これはクリスチャンの信仰生活の旅路でいうなら、救いから潔めの恵みに与かるまでの信仰生活と、潔めの恵みに直面して不信仰になる時、信仰も放浪生活になってしまうことです。よく見ると、クリスチャンにも二種類あることが分かります。確かに、はっきりと目的を持って信仰生活を営んでいる人と、ただ放浪している状態の人とがいます。私たちは、毎日、目的地を目指して信仰生活を営みたいものです。

「彼は、重い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。‥‥はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。‥‥‥彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」(ヘブル11:10、13、16)

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:12~14)

明確な目的を持って、脇目をふらず、一心に走っている人だけが、目的地に到着します。

11節、この出発の日付は出エジプト後、第二年目の第二月の二十日です。

民 10:11 第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。

出エジプト記19章1節では、イスラエルがシナイの荒野に入ったのは、出エジプトをした年の第三の月の新月の日でしたから彼らはほほ一年間シナイの荒野にとどまって、神の民として約束の地での生活のための準備、すなわち、幕屋建造や、戒め、礼拝の定め、生活上の定めを多く教えられました。そして、出発の二〇日前に、人口調査を行い、最後の警告が与えられ、いよいよ出発の運びとなったのです。

この時、モーセも民も興奮していたようです。
その興奮した息づかいや雰囲気が伝わってくるようです。11~23節のことばは、その熱気と興奮を伝えてくれます。

11節、「雲があかしの幕屋の上から離れて上った。」すなわち、初めて神から実際にGOサインが出たのです。雲ですから朝か、昼に、出発の命令が出たものと思われます。

12節、最初の旅路は近くのパランの荒野でとどまりました。

民 10:12 それでイスラエル人はシナイの荒野を出て旅立ったが、雲はパランの荒野でとどまった。

13節は、神のみことば通りのことが、初めて行われた興奮を伝えています。

民 10:13 彼らは、モーセを通して示された【主】の命令によって初めて旅立ち、

この出発は民全体が一年間にわたって準備してきたことが初めて実際に活動を始めるのですから、民全体は熱狂的な興奮のうちにこの出発をしたのは当然のことでしょう。

14~28節は、イスラエルの民が整然と隊列を組んで行軍した、その部族ごとの軍団の順序や組織、そして軍団長の名前を正確に記しています。

イスラエル人たちはシナイに到着するまでは、エジプト脱出というあわただしさや緊急事態であったこともあって、混乱状態にあったと思われます。しかしこれから先の旅は、神の軍団として細織立って、秩序正しい行軍をすることが求められています。

主は秩序正しい神であり、秩序は大きな力の一つです。それ故、クリスチャンは神の民として、また教会の一員として秩序正しい生活をすべきです。クリスチャンが神のご計画を達成するためには、秩序正しくあらねばなりません。勿論、秩序がすべてを縛りつけてしまってはなりませんが、秩序は神の民が一致して協力し、行動するためには不可欠な条件です。

特に、みことばの解き明かしは、各自が思い思いに話すなら、教会に混乱を起こします。またパウロは「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」(ピリピ2:2)と言っています。これは教会に、秩序を保つことを求めているのです。

これから出発しようとしている軍団は、民数記1~4章で定められた組織に従っています。先発の軍団は、ユダ族の宿営の旗のもとに、ユダ、イッサカル、ゼプルンの三部族です。

民 10:14 まず初めにユダ族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発した。軍団長はアミナダブの子ナフション。
10:15 イッサカル部族の軍団長はツアルの子ネタヌエル。
10:16 ゼブルン部族の軍団長はヘロンの子エリアブ。

主はいつも、ユダが先頭に進むことを求めておられるようです(土師記1:1,2、創世記49:9.10)。

士 1:1 さて、ヨシュアの死後、イスラエル人は【主】に伺って言った。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦わなければならないでしょうか。」
1:2 すると、【主】は仰せられた。「ユダが上って行かなければならない。見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」

創 49:9 ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。
49:10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

これは私たちの先頭を歩まれるイエス・キリストを予表しているかのようです(ヨハネ10:4、ヘブル6:20、12:2)。

ヨハ 10:4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。

ヘブル 6:20 イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。

ヘブル 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

その次に、レビ人のゲルション族とメラリ族が幕屋を取りはずして、これを運搬します。そのあとに、ルベン族の宿営の旗のもとに、ルベン、シメオン、ガドの三部族が出発します。

民 10:17 幕屋が取りはずされ、幕屋を運ぶゲルション族、メラリ族が出発。
10:18 ルベンの宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はシェデウルの子エリツル。
10:19 シメオン部族の軍団長はツリシャダイの子シェルミエル。
10:20 ガド部族の軍団長はデウエルの子エルヤサフ。

21節、そのあとで、レビ人のケハテ族が幕屋の聖なる備品を運びます。

民 10:21 聖なる物を運ぶケハテ人が出発。彼らが着くまでに、幕屋は建て終えられる。

ケハテ族は行列の中でも、ずっと後の方にいたようです。
それはケハテ族が聖なる備品を携えて到着する時には、ゲルションとメラリ族が幕屋を建て終えておくためでした。なんと無駄のない配列でしょうか。

もし私たちが時間の使い方やお金の使い方において無駄を少なくするなら、もっと主のために用いることができるのではないかと反省させられます。このような隊列を考えてみても、主がいかに英知に満ちておられるか、計画性に富んでおられるか、秩序正しいお方であるかが分かります。

そのあとに、エフライム族の宿営の旗のもとに、エフライム、マナセ、ベニヤミンの三部族が続きます。

民 10:22 また、エフライム族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はアミフデの子エリシャマ。
10:23 マナセ部族の軍団長はペダツルの子ガムリエル。
10:24 ベニヤミン部族の軍団長はギデオニの子アビダンであった。

そして最後は、ダン族の宿営の旗のもとに、ダン、アシェル、ナフタリの三部族が進みます。この最後の軍団は、全宿営の後衛として出発すると言われています(25節)。

民 10:25 ダン部族の宿営の旗が、全宿営の後衛としてその軍団ごとに出発。軍団長はアミシャダイの子アヒエゼル。
10:26 アシェル部族の軍団長はオクランの子パグイエル。
10:27 ナフタリ部族の軍団長はエナンの子アヒラ。
10:28 以上がイスラエル人の軍団ごとの出発順序であって、彼らはそのように出発した。

すなわち、この最後の軍団は後方からの外敵の攻撃を警戒するためであり、また前に歩いている者の中から落伍する者を助けたり、途中で弱った者を世話したり、失われた品物を捜して見つけ、返還したりする役目を果たしていました。

主は、「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(ヨハネの黙示録22:13)と言われましたが、主は私たちの先頭を歩いて下さり、またしんがりとなって、私たちをお守りくださるお方です。

このように各軍団は、各々が重要な役目を果たしています。先発隊は全体を先導していく重要な役割があり、幕屋を運ぶ者は備品を運ぶ者が到着する前に、幕屋を建て終わらなければなりません。最後の軍団は様々な面倒な役割をみんな果たさなければなりません。しかし、こうしてみんなが各々、神の民として与えられた役割を果たしてこそ、整然と、しかも一人も落ちこぼれることなく旅を続けることができたのです。

クリスチャンも各々が自分勝手な行動をするのではなく、神の家族の一員としての自覚をもって、各々の役割を認識し、それを忠実に果たすなら、この世における信仰の旅路も楽しくなり、信仰の脱落者は少なくなるものと思われます。

29~32節、しゅうとレウエルの子ホバブ

民 10:29 さて、モーセは、彼のしゅうとミデヤン人レウエルの子ホバブに言った。「私たちは、【主】があなたがたに与えると言われた場所へ出発するところです。私たちといっしょに行きましょう。私たちはあなたをしあわせにします。【主】がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」

モーセは義理の兄弟ホバプに、彼らと同行して助けてくれるように頼んでいます。ホバブについては、義理の父と訳しているものもありますが、そのへブル語のhothenは、義理の兄弟にも使われています。恐らく、しゅうとのレウエルの死後、ホバプが家督を継いでいたので、この語が用いられたのでしょう。ホバブがモーセの義理の兄弟に当る人物であったことは間違いないようです。

モーセのしゅうとレウエルについては、イテロ(出エジプト記3:1、18:1~)とも呼ばれていますが、同一人物です。彼は、出エジプト記18章でモーセがシナイに入って来た時、モーセの妻チッポラと二人の孫を連れて来ました。しかしレウエルはすぐにミデヤンに帰ってしまいました。レウエルの息子ホバブについては、出エジプト記は何も記していませんが、彼は恐らく父と一緒に来て、そのままイスラエルの宿営に加わっていたものと思われます。しかしモーセたちがシナイ山を出発しようとした時、ホバプはミデヤンに帰ろうとしたのでしょう。けれども、モーセはこれから大集団を連れてシナイの荒野を旅するに当って、シナイの荒野をよく知っている案内者が必要だと思っていたのです。この点で、ホバブは最適の人物でした。そこでモーセはホバブがイスラエルと一緒に行って、主の民のために奉仕してくれるように頼みました。その代わり、モーセは主が与えてくださるしあわせをホバブにも分かち与えることを約束しました。モーセは、主と主の民に同行すれば、必ずしあわせを受けることを確信していたのです。これは主の約束なので、今も同じです。神の国と神の義を求める者には、必ず祝福が伴います。

30節、しかしホバブは最初、モーセたちと一緒に行くことを断わりました。なぜなら、彼はシナイの荒野をよく知っていたので、そこを大集団で旅をすることがどんなに困難で危険であるかを考えたからです。

10:30 彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の生まれ故郷に帰ります。」

しかしモーセの懇願は切実でした。「どうか私たちを見捨てないでください。」(31節)

民 10:31 そこでモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから。 10:32 私たちといっしょに行ってくだされば、【主】が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです。」

こうして長い間、主の奉仕をしていますと、最初は協力している人でも、自分の都合から、離れて行く人や、先行きの困難を考えて去って行く人が何人も出てきます。最後まで重荷と使命を共にする者は、そう多くいないことが分かってきます。「同労者」という言葉がありますが、一時的な形ばかりの同労者ではなく、天に行くまで同労者であってくれる人が欲しいものです。

ホバブはモーセの切なる懇願を受け入れて、同行したようです。なぜなら、後の歴史が、ホバブの子孫がカナンの地に住んでいたことを示しているからです(土師記1:16、4:11)。ホバブの同行は、シナイの旅に専門家の案内人がついたようなもので、モーセはずっと助かったはずです。

どんなにすぐれた信仰の指導者でも、全部の面で専門家になることはできません。そこで、主の指揮のもとに各々が各分野を分担して、すぐれた専門家となり、人々を助け導く働きをするなら、クリスチャンの信仰生活は、さらに幸いなものとなるはずです。

33~36節、主の先導

民 10:33 こうして、彼らは【主】の山を出て、三日の道のりを進んだ。【主】の契約の箱は三日の道のりの間、彼らの先頭に立って進み、彼らの休息の場所を捜した。
10:34 彼らが宿営を出て進むとき、昼間は【主】の雲が彼らの上にあった。

33節、「主の山」と呼ばれているのは、ここだけです。同一の山(ホレブ)は、「神の山」(出エジプト3:1、4:27、18:5、24:13、列王記第一19:8)と呼ばれています。

出 3:1 モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。

出 4:27 さて、【主】はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。

出 18:5 モーセのしゅうとイテロは、モーセの息子と妻といっしょに、荒野のモーセのところに行った。彼はそこの神の山に宿営していた。

出 24:13 そこで、モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり、モーセは神の山に登った。

Ⅰ列王 19:8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。

ここでは、主の契約の箱は行軍の先頭を進んでいると記されています。これは物理的な位置を示すことよりも、主の臨在が先頭に立っていることを示しています。この民の移動が主の先導によるものであることを強調しています。これは、先の出発の順序と異なっているように見えますが、この「先頭に立って進み」は、契約の箱の前にだれもいなかったということを言っているのではなく、民の上に主がご自分の権威を表して進まれたことを意味しています。

あるいは、この最初の三日間だけ、民が適切な宿営地を見つけるために、例外的に神の箱が先に進んだのかも知れません。このようなことはヨシュア記3章で、民がヨルダン川を渡る時も、祭司は先頭に立って神の箱を運ぶように命じられています。これは主の先導を強調するためです。

35節は、契約の箱が出発する時のモーセの祈りです(詩篇68:1)。

民 10:35 契約の箱が出発するときには、モーセはこう言っていた。「【主】よ。立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」

詩 68:1 神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。

民の前進は敵との戦いを意味するので、「主よ。立ち上がってください。」と祈るのです。神の臨在による保護と勝利の祈りです。

クリスチャンは日ごとに前進していなければなりませんが、それは毎日が戦いであることを意味しているはずです。それ故、毎日、主に立ち上がっていただかなければなりません。そういう祈りが必要になってきます。

36節は、とどまる時の祈りです。

民 10:36 またそれがとどまるときに、彼は言っていた。「【主】よ。お帰りください。イスラエルの幾千万の民のもとに。」

ここには、神の臨在による民の休息と活力の補給が意味されています。こうして民は、前進して戦い、またとどまって休息し、力を補給されて、再び前進して行ったのです。勝利は、一年中走り続けて得られるものではありません。

(まなべあきら 1992.8.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の図は、「NIV Study Bible, Zondervan」より引用。


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