聖書の探求(129) 申命記 序論(3) 申命記のキリスト(その2)、申命記の分解
八、申命記のキリスト(続)
5、逃(のが)れの町
申命記4章41,42節、19章2~7節の逃(のが)れの町と、32章4、18、30節の岩は、私たちの隠れ家なるイエス・キリストを表しています。
申 4:41 それからモーセは、ヨルダンの向こうの地に三つの町を取り分けた。東のほうである。
4:42 以前から憎んでいなかった隣人を知らずに殺した殺人者が、そこへ、のがれることのできるためである。その者はこれらの町の一つにのがれて、生きのびることができる。
申 19:2 あなたの神、【主】があなたに与えて所有させようとしておられるその地に、三つの町を取り分けなければならない。
19:3 あなたは距離を測定し、あなたの神、【主】があなたに受け継がせる地域を三つに区分しなければならない。殺人者はだれでも、そこにのがれることができる。
19:4 殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次のとおり。知らずに隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である。
19:5 たとえば、木を切るため隣人といっしょに森に入り、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ場合、その者はこれらの町の一つにのがれて生きることができる。
19:6 血の復讐をする者が、憤りの心に燃え、その殺人者を追いかけ、道が遠いために、その人に追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その人は、以前から相手を憎んでいたのではないから、死刑に当たらない。
19:7 だから私はあなたに命じて、「三つの町を取り分けよ」と言ったのである。
申 32:4 主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。
申 32:18 あなたは自分を生んだ岩をおろそかにし、産みの苦しみをした神を忘れてしまった。
申 32:30 彼らの岩が、彼らを売らず、【主】が、彼らを渡さなかったなら、どうして、ひとりが千人を追い、ふたりが万人を敗走させたろうか。
神は、イスラエル民族が約束の地を占領するようになったら、六つの逃れの町を設けるように命じられました。これは、故意にではなく、誤って人を殺した者が、仇(あだ)打ちする者の手から免(まぬが)れるためでした。この六つの町は、ヨルダン川の東に三つ、西に三つあって、仇(あだ)打ちの手を逃れようとする者は、どこにいても、これらの中のどれかの町に逃げ込むことができるように計画されていたのです。このように、救い主イエス様は、私たちのために逃(のが)れ所として、ご自身を差し出してくださり、どんな人でもすぐに逃げ込むことができるように準備して待っておられるのです。
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(ペテロ第二3:9)
これらの逃(のが)れの町には大きな街道があって、その町の門はいつも開いていました。ユダヤ人の伝承によると、この街道の所々に、「逃れ(のが)所! 逃れ(のが)所!」と書いた道案内の道標が立ててあり、その上、神の律法をよく知っている案内人を沿道に配置して、避難者を安全に逃れの町に導いたということです。もしそうであるなら、この案内人は今日の伝道者を表しており、その足は霊魂をキリストに導くことに早く、その口は、神の真理のみことばで満たされていなければなりません。
「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができましょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書いているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっばでしょう。』」(ローマ10:14,15)
逃れの町に逃げ込んだ人は、町で取り調べを受けて、もし無罪であれば、大祭司の死ぬまで、その町にいることが許され、大祭司が死ぬと、その人は自分の家に帰り、自分の産業を持つことができました(民数記35:25~28)。
民 35:25 会衆は、その殺人者を、血の復讐をする者の手から救い出し、会衆は彼を、逃げ込んだそののがれの町に返してやらなければならない。彼は、聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。
35:26 もし、その殺人者が、自分が逃げ込んだのがれの町の境界から出て行き、
35:27 血の復讐をする者が、そののがれの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺しても、彼には血を流した罪はない。
35:28 その者は、大祭司が死ぬまでは、そののがれの町に住んでいなければならないからである。大祭司の死後には、その殺人者は、自分の所有地に帰ることができる。
これは、神がご自分の地に、罪のない者の血が流されないように守られる型でした。
この逃(のが)れの町は、罪人がキリストの中に逃げ込んで来て、キリストの救いを受けるヒナ型なのです。
6、神ののろい
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。」(申命記21:22,23)
人を木にかける刑法は、私たちをキリストの十字架へと導いていきます。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖(あがな)い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)
申命記27章13~26節、28章15~68節に記されている律法の恐ろしいのろいの文を読んでみると、私たちに代わって、こののろいを受けて、律法の要求を満たしてくださった主イエス様に対して感謝の心があふれてきます。
申 27:13 また次の者たちはのろいのために、エバル山に立たなければならない。ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリ。
27:14 レビ人はイスラエルのすべての人々に大声で宣言しなさい。
27:15 「職人の手のわざである、【主】の忌みきらわれる彫像や鋳像を造り、これをひそかに安置する者はのろわれる。」民はみな、答えて、アーメンと言いなさい。
27:16 「自分の父や母を侮辱する者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:17 「隣人の地境を移す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:18 「盲人にまちがった道を教える者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:19 「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:20 「父の妻と寝る者は、自分の父の恥をさらすのであるから、のろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:21 「どんな獣とも寝る者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:22 「父の娘であれ、母の娘であれ、自分の姉妹と寝る者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:23 「自分の妻の母と寝る者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:24 「ひそかに隣人を打ち殺す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:25 「わいろを受け取り、人を打ち殺して罪のない者の血を流す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
27:26 「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
申 28:15 もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。
28:16 あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。
28:17 あなたのかごも、こね鉢ものろわれる。
28:18 あなたの身から生まれる者も、地の産物も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊ものろわれる。
28:19 あなたは、入るときものろわれ、出て行くときにものろわれる。
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「しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:20,21)
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(コリント第一15:10)
神の恵みの偉大さを改めて、思い知らされ、献身と信仰を新にされます。
7、ウリムとトンミム
「レビについて言った。『あなたのトンミムとウリムとを、あなたの聖徒のものとしてください。』」(申命記33:8)
ウリムとトンミムは大祭司の胸当てに入れてあったもので(出エジプト記28:30)、大祭司が神のみ旨を知ろうとして神の御前に出る時に、必ずその胸にかけて行ったものでしたが、それが何であったかは不明です。
出 28:30 さばきの胸当てには、ウリムとトンミムを入れ、アロンが【主】の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず【主】の前に、イスラエルの子らのさばきを、その胸の上に載せる。
しかしこのウリムの審判は、いつも真の審判でした。(民数記27:21)。
民 27:21 彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために【主】の前でウリムによるさばきを求めなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルのすべての者、すなわち全会衆は、エルアザルの命令によって出、また、彼の命令によって、入らなければならない。」
ヘブル語で、ウリムとトンミムの意味は「光と完全」です。コリント第二4章2節の「真理」を「明らかにし」は、七十人訳聖書によるものであって、その原語はウリムとトンミムです。
Ⅱコリ 4:2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
それはイエス・キリストご自身を表し、聖霊の光と真理のみことばです。知恵と知識とのすべての宝は、私たちの大祭司であるキリスト・イエスのうちにすべて隠されているのです。(コロサイ2:3)。
コロ 2:3 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。
「私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」(ヘブル4:14)
8、民の重荷を負われる方 モーセは民の重荷を負うことができませんでしたが、イエス・キリストは私たちの罪の重荷を負ってくださいました。
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」(ペテロ第一2:24)
「まことに、彼は私たちの病いを負い、私たちの痛みをになった。‥‥しかし主は、私たちのすべての咎(とが)を彼に負わせた。‥‥彼らの咎(とが)を彼がになう。‥‥彼は多くの人の罪を負い、」(イザヤ53:4、6、11、12)
「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。神は私たちにとって救いの神。死を免(まぬが)れるのは、私の主、神による、」(詩篇68:19,20)
申命記の中には、私たちを負(お)ってくださる主の力を示すみことばが、あちこちに見られます。
「人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。」(申命記1:31)
この「抱く」は、ヘブル語では「負(お)う」です。
「わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、
羽に載せて行くように。」(申命記32:11)
「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」(申命記33:12)
これらのみことばは、私たちに良き羊飼いであるイエス・キリストが、その肩に羊を負われている姿を思い起こさせ、キリストによって神に来る人々が、主の幼子(おさなご)として、御父(みちち)のふところに抱かれていることが、いかに幸福であるかを示しています。
「見つけたら、大喜びでその羊をかついで」(ルカ15:5)
「そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」(マル
コ10:16)
「昔よりの(永遠にいます)神は、住む家。永遠の腕が下に。」(申命記33:27)
「あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」(文語訳「汝(なんじ)の能力は汝(なんじ)が日々に需(もと)むるところに循(したが)わん。」)(申命記33:25)
なんという深い主の愛。この愛をむなしく捨て去ることは絶対にできない。
九、申命記の分解
1~4章、歴史的-過去の生活の回顧(恵みを覚えよ)過去における神の愛
(1)、1:1~5 序
(2)、1:6~18 ホレブにて-首長の任命
(3)、1:19~46 カデシュにて-カナン領有の遅延
(4)、2章~3章、ヨルダンの東にて(セイル、ヘシュボン、バシャン、べテ・ペオル)-東の地の領有、指導者の更迭、「与えた」(2:5、9、19、3:12)
(5)、4:1~43、警戒と服従の勧告(41~43節、歴史的記録)
(イ)服従(4:1、40)
(ロ)みことばを増減してはならない(4:2、5:22、12:32、ヨハネの黙示録22:18,19)
(ハ)守り行う(4:6)
(ニ)慎み(4:9、15)
5~26章 律法的-律法の再述(律法に従え)-現在における神の愛
(1)、4:44~49 序論
(2)、5章~11章 シナイの律法
5:1~21 十戒の反復
5:22~6章 守り行なうべき勧告
7章~11章 律法の解説-カナン入国後の心構え
(3)、12章~26章、特別法-カナン入国後の種々の詳細な法とおきて
(イ)12章~16:17 おもに宗教に関する規定
(ロ)16:18~20章 おもに政治に関する規定
(ハ)21章~26:15 おもに私的生活に関する規定
(二)26:16~19 結論
服従(5:1、17章)
「火の中より語られた」-主の権威(5:4、22)
6:4,5-マタイ22:37、ローマ13:8、ガラテヤ5:14
心の割礼「主を愛する」(30:6)
「もううなじのこわい者であってはならない。」(10:16)
「そのとき、彼らの無割礼の心はへりくだり、彼らの咎(とが)の償(つぐな)いをしよう。」(レビ記26:41)
「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」(エレミヤ書4:4)
「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(ローマ2:29)
「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。」(ピリピ3:3)
「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。」(コロサイ2:11)
服従は、主に対する愛の動機からでないと、何の意味もありません。主に対する愛の動機を持つこと、それが心の割礼です。
27~34章 預言的-モーセの最後の言葉と死-将来における神の愛
27~30章 契約の更新-警戒せよ
27~28章 遠方視(祝福とのろい)
29~30章 前方視(契約の更新)
31章 四つの命令
(1)1~8節 ヨルダンを渡る命令(主の臨在の約束)
(2)9~13節 七年の終わりごとの仮庵の祭りに律法を読むことの命令
(3)14~23節 モーセとヨシュアヘの主のご命令
(4)24~29節 レビ人へのモーセの命令
32章 モーセの預言の歌
33~34章 最後の出来事
33章 モーセの祝福の言葉
34章 モーセの死と後継者ヨシュアの着任
あ と が き
今、現在の日本のクリスチャンだけでも、浮わついた信仰状態から、真剣に神のみことばを探求し、みことばに従って生きる、根を下した信仰になっていくなら、必ずこの日本にもキリストの福音が根づいて、大きく発展していくことは間違いありません。しかし残念なことに、みことばを真剣に探求するクリスチャンはそう多くないのです。私はこの二十年間、みことばを根ざさせようと困難な働きを続けてきましたが、それで分かることは、大きな代価を払ってでも、みことばに取り組んでいる人は、必ず成長していることです。しかし、熱心そうでも、真剣にみことばに取り組んでいない人は、確実な実を結ぶことができないのです。この数年、私たちのメッセージ・テープで家庭集会や個人の学びをされる方々が増えていますことは、うれしいことです。このようなケースがもっと増えてくると、日本のキリスト教も変わってくると確信しています。堅い食物を食べることのできる大人のクリスチャンが育ちますように。
(まなべあきら 1994.12.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)
上の絵は、アメリカで1884年に出版されたCharles Fosterの「The Story of the Bible(聖書の物語)」の挿絵「Fleeing to the City of Refuge(逃れの町への逃げ込み)」(Wikimedia Commonsより)
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