まだ、間に合います!

36歳のバリバリのキャリアウーマンだった、高知市に住む女性が、仕事に疲れて、心を病み、精神科に通うようになっていました。
その人が、私たちの聖書のお話のテープを聞かれて、イエス・キリストを心に受入れられました。
驚きは、ここから始まったのです。

この方の変わり様に、99歳になるおばあちゃんが驚き、私の知人が開いていた家庭集会に出席され、
「主(イエス・キリスト)の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ人への手紙10:13)の聖書のことばを、素直な心で受入れたのです。
ご本人も、周りのみんなも、「喜んで、喜んで、涙、涙、涙でありました。」と手紙をいただきました。
99歳から、新しい心を持った、第二の人生が、現実に始まったのです。
99歳でも。
遅くはありません。


新しい人生を始めるのに、まだ、間に合います。
悔いのない、新しい人生を始めるのに、遅くはありません。
間に合います。
人は、100歳になっても、「半生」と呼びます。
まだ、人生の半分が残っています。
もう半分を、新しいキリストの心を持って生きようではありませんか。


聖書に、
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二5:17)
とある通りです。


今、私たちの教会に来られている方の家族に96歳のおばあちゃんが、老人ホームで過ごされています。
心にイエス・キリストを信じておられて、ホームの職員の人から、「いやしの人」と呼ばれています。
この方の介護をしていると、職員の方のほうが、心がいやされると言われるのです。
このおばあちゃんも、キリストにある新しい人になって、新しい人生を過ごしておられます。
あなたも、新しい人になるチャンスは、まだあります。
遅くはありません。


最後に、もっと際どい所で、間に合った人のお話をしましょう。
実は、イエス・キリストが十字架にかかられた時、同時に、他に二人の犯罪人が十字架にかけられていたのです。
初めは、二人ともイエス・キリストをののしっていましたが、そのうち一人の犯罪人が、もう一人をたしなめ始めたのです。
「おまえは神をも恐れないのか。
おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。
だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
そして
「イエスさま。
あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」(ルカの福音書23:40~42)
と言いました。


彼は十字架上のイエス・キリストを見ているうちに、このお方が、ただの人ではなく、救い主であることを悟ったのです。
あなたも心の耳でイエス・キリストのお話を聞き続けてみてください。
きっと救い主を見つけます。

イエス・キリストは、いまわの際の彼に
「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23:43)
と約束されました。
彼も、際どいところで間に合ったのです。


私たちの教会では、毎週日曜日、聖書のお話しをしています。
気軽に教会にお出かけください。
お待ちしています。

「そして自分(イエス様)から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。」
(ペテロの手紙第一2:24)

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